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{{自由}}
'''責任'''(せきにん、{{lang-en-short|responsibility/liability}})とは、元々は何かに対して応答すること、応答する状態を意味しており、ある人の行為が本人が[[自由]]に選べる状態であり、これから起きるであろうことあるいはすでに起きたこと の原因が行為者にあると考えられる場合に、そのある人は、その行為自体や行為の結果に関して、[[法律|法]]的な責任がある、または[[道徳]]的な責任がある、とされる。何かが起きた時、それに対して応答、対処する義務の事
何かが起きた時、それに対して応答、対処する義務の事。
 
== 概説 ==
近・現代に用いられている責任(英:responsibility、フランス語:responsabilité)という用語・概念は、元をたどれば[[ラテン語]]のrespondereレスポンデレ(答える、返答・応答する、英語ならばrespond)に由来しており、-ityの形では、何かに対して応答すること、応答できる状態、を意味している。respondereという語自体は古代ローマ時代には、法廷において自分の行為について説明したり弁明したりすることを意味していた。
 
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ある行為・結果に対してある人(例えばAさん)には責任がある、とされているということは、ある行為がAさん本人にとって選択の余地がある(つまり哲学的な用語で言えば自由意志に基づいて行うものである)と判断されていることを意味する。責任と自由は常に同時に存在し、切り離すことは出来ない。自由の無いところに責任は存在せず、責任の無いところに自由は存在しない、とされる。
 
責任の概念は、他のことを意志できること<!--非両立主義的-->、少なくとも意志したとおりの行為を為すことができる<!--両立主義的-->という意味での[[自由意志]]の概念を前提としている。そのため、責任という概念は、伝統的に[[自由意志]]の概念とも結び付けられてきた。
 
責任にまつわる近・現代的な観点からは、心に重きを置く考え方と、ある人の行為に重きを置く考え方とがある。
 
現代の社会において、ひとりひとりの人間は、何らかの自由を行使し行為を選択する際には、その自由に応じた責任があると認識・自覚する必要がある。ただし、その自由に応じた責任以外まで認める必要はない、ともされるので、どこまでが自由であったか、どこまでが選びえた行為か、どこまでが強制された行為か、ということはしばしば曖昧で、争いの原因となることがある。
 
また、責任という概念は、何らかの行為を行ったことだけについて適用されるのではなくて、行われるべきだったのに行われなかったことに対しても適用される。
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自分の仕事や行為についての責任を果たそうとする気持ちを「責任感」と言う<ref>大辞泉「責任感」</ref>。責任感がないことや、責任を自覚しないことを「無責任」と言う<ref>大辞泉「無責任」。(なお、責任が無いことも「無責任」と言う。(出典:大辞泉「無責任」)</ref>。責任を果たそうとしない状態が集団的・組織的に作り出されていることを「無責任体制」などと言う。
 
自分が負うべき責めを他の者に負わせることや、責任を他になすりつけることを「責任転嫁(せきにんてんか)」と言う<ref>大辞泉「責任転嫁」</ref>。なお、一般に日本語では、他者から期待されている反応・行動をその期待どおりに実行することを「責任を果たす」と言い、反対に期待されている反応・行動を実行しないことで結果として事後的に罰を受けたり、指揮権や地位などを手放すことを「責任をとる」と言う。誰かが「責任をとった」と表現される状態は、基本的に、「本来なら果たすべき責任を果たさなかった」ということを意味している{{efn|例えば、遠足で生徒の引率者(引率の責任がある者)が生徒たちを適切に引率し、遠足の目的を果たし、かつ無事に生徒らを家に帰宅させれば「責任を果たした」ということになる。反対に、たとえば途中で事故などに巻き込まれそうな事態になったのに、事故を回避するための反応・行動をとらなかった場合は「(引率者は)責任を果たさなかった」と表現される。また、その結果、引率者が解雇されたり、賠償したりする状態などに陥った場合に「責任を取った」と言う。}}。
 
== 歴史 ==
責任は、[[英語]]では responsibility 、[[フランス語]]ではresponsabilitéというが、[[今道友信]](1956)によれば、これに相当する[[ギリシャ語]]単語はなく、responsibilitasなる古典ラテン語も中世ラテン語もない。英語で言えば、responsibility の文献初出は[[1780年代]]である。
 
そして、マッキーオンによれば、[[ジョン・スチュアート・ミル]]の書物にあり、しかしミルの造語でないという。
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[[マックス・ヴェーバー]]は『職業としての政治』において、責任を心情倫理と責任倫理を対比させて論じた。
 
== 日本における「責任」の様々な用法 ==
従来より、日本社会においては[[説明責任|「責任」]]という概念・語がよく理解されておらず、本来のresponsibilityという意味とはかなり離れてしまって、[[義務]]という語・概念と混同してしまったり、義務に違反した場合に[[罰]]を負う、という意味で誤用してしまう人も多い。あるいは、もっぱら[[リスク]]を負担することにのみ短絡させている場合もある(部分的には重なるが、同一ではない概念である)。
 
=== 政治的場面 ===
日本においては、政治的な場面で、何らかの悪い結果が発生した場合、責任者が職・地位・立場などを辞任することなどによって “責任をとった”とすることがしばしばある。
 
責任を無理矢理とらせることを「詰め腹を切らせる」というが、これは、歴史的にみて[[切腹]]が不祥事への責任をとる一手段であったことに由来する語法である。現代では、切腹に相当する行為の典型は辞職、辞任であるが、ただ辞めるだけで、問題行為にいたった経緯などを関係者などにしっかり説明しないと、「責任を果たしていない」と批判される傾向もある。
現代では、切腹に相当する行為の典型は辞職、辞任であるが、ただ辞めるだけで、問題行為にいたった経緯などを関係者などにしっかり説明しないと、「責任を果たしていない」と批判される傾向もある。
 
他方、(ある人本人や、ある人が監督責任を負うべき周辺人物が)何らかの問題を発生させてしまった場合でも、自分の現状の職・地位を辞さず維持すること(本人なりに問題を解決してゆこうとする意志があること)を、“責任を果たす” と表現することもある<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/mie/100829/mie1008290219000-n1.htm 進退については「知事としての責任は果たさなければならない」と述べるにとどめた]</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101021-OYT1T00955.htm 大林検事総長は検察があるべき姿を取り戻すことが私の責任」と述べ、現段階での辞任を否定した]</ref>。
 
== 法的な責任 ==
{{law|section=1}}
責任は[[倫理学]][[社会学]][[心理学]]の対象領域であるが、法的責任のとらえ方が、それらから微妙な影響を受けるが、法律上の責任とは異なるものであり明確に区別する必要がある。
=== 刑事責任 ===
{{日本の刑法}}
刑事責任とは、[[犯罪]]を犯した者が[[刑罰]]を受けなければならない法的な地位のこと。狭義には[[有責性]]のこと。
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基本的には自分の[[行為]]に基づく責任であるが、他人の行為についても、それに寄与した者は[[共犯]]の罪責を負うことがある([[教唆犯]]、[[幇助犯]]、[[共同正犯]])。刑事責任を負っている者には刑法等の規定に応じて[[懲役]]・[[罰金]]等の[[刑罰]]が科せられる。
 
=== 民事責任 ===
民事責任とは、[[契約]]、[[不当利得]]、[[不法行為]]、[[事務管理]]などによって生ずる[[私法]]上の[[債務]]をいうことが多い。
 
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債務という意味では、次のようなものがある。
* 契約責任
* 不法行為責任
: 現在の日本においては[[金銭]]で賠償することが原則であるが、[[謝罪広告]]などを命じられることもある([[b:民法第723条|民法723条]])。また、一定の場合、他人の行為に対する責任を負う。その一例である[[使用者責任]]の発生の根拠は、実質上の指揮監督関係に求められる([[b:民法第715条|民法715条]])。
: 公権力の行使に当たる[[公務員]]が、その職務を行うについて他人に損害を加えたときは、国家が賠償する責任を負う([[s:国家賠償法#1条|国家賠償法1条]]1項)。
 
=== 行政責任 ===
行政責任とは、一定の行政法規への違反によって生じる行政法上の負担をいう。過料、課徴金、業務改善命令、業務停止命令、許認可取消しなどがある。
 
=== 訴訟法上の責任 ===
自分にとって有利な法的効果を発生させる事実を主張しなかった当事者が、その事実が認定されないことによって受ける不利益のことを、[[主張責任]]という。
 
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政治的責任と法的責任は別物であるが、収賄などの犯罪行為について、法的責任(刑事責任)が発生するのとともに、政治的責任も発生し得ることは当然である。[[戦争責任]]については、当該項目を参照。
 
== 社会的な責任 ==
=== 結果責任 ===
 
===結果責任===
 
'''結果責任'''(けっかせきにん)とは、ある行為によって発生する結果に対する責任のことである。原則として全ての行為において結果責任が発生するが、ある行為を行った者と責任を負担する者が常に一致するわけではない。
 
例えば、選挙において投票した行為、棄権した行為、それぞれの選択行為によって発生した結果に対する責任が発生し、あとは各人に責任をどのように分配するかの問題となる。法的な責任においては過失責任主義が原則であるので、結果責任はしばしば道義的責任にとどまることも多いが、'''[[無過失責任]]'''のように法的に規定される場合もある。
 
=== 自己責任 ===
'''自己責任'''(じこせきにん)という言葉は現在多義的な言葉となっている。反対の意味の語として「連帯責任」がある。
 
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なお、「'''証券取引による損失は、たとえ予期できないものであっても全て投資者が負担する'''」といわれることがあるが、これは、上記第一あるいは第三の意味の責任が証券取引の分野に発現したものと捉えられよう。証券取引はもともとリスクの高いものであるから、たとえ予期できない事情により損害が発生したとしても、投資者が損失を負担しなければならないということである。(参照⇒投資家の[[自己責任原則]]、[[損失補填]]の禁止)
 
==== さまざまな例 ====
例えば、「内容の正確性が担保されていない[[ウィキペディア]]に各自の判断で参加することによって生じた損害は、全て自己責任に帰される」というように用いられる。この言葉には[[英語]]のOwn riskの直訳的な意味が含まれており、契約などにおける免責事項の根拠として広く用いられている。ただ、例えば窓に施錠し忘れて邸内の所持品が[[窃盗]]にあったケースにおいては、「窃盗犯によって所持品が滅失・毀損・消費され、取り戻し不能になる危険が発生すること」が自己責任の内容であり、自己責任を理由にして、警察官の職務怠慢が正当化されたり、捜査費用を被害者に負担させられるわけではなく、また窃盗犯の刑罰が軽減されたり、所有権が国家により没収されるわけではない。また司法手続によらない[[自力救済]](英:self-help)は、司法手続の確立した現在の社会においては急迫の場合を除いて原則として禁止される。
 
経済学では、[[外部性]]の問題がある。たとえば企業が大気を汚染することを'''負の外部性'''<!--(責任の転嫁)-->と呼ぶ。これに対し、たとえば浄化設備を設置した政府が大気を汚染した企業から税を取った場合、これを'''内部化'''(自己責任化)という。ほかには[[リスク]]と[[インセンティブ (経済学)|インセンティブ]]のトレードオフが説かれる。たとえば保険会社が全てのリスクを負担すると仮定した場合、被契約者は危険を回避する意欲を完全に喪失するものと考えられる。これを[[モラルハザード]]という。
 
「自己責任」は本来、他者に対する責任転嫁をいましめる言葉であるが、他者に対して責任を負うべき者の責任回避<!--(自分の行動でありそのリスクは負え、こちらは一切関知しない)-->だけでなく、強者が弱者を救済することを拒否した上、嘲笑する口実に利用される危険性さえある(たとえば前述の例では警官の職務怠慢が正当化される訳ではない)<!--り、[[義務違反]]に対する制裁が困難になるとの指摘がある-->
 
==== 「自己責任論」が話題となった事例 ====
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* [[2004年]][[4月7日]]の[[イラク日本人人質事件]]
* [[2005年]][[12月]]に発覚したマンションの[[耐震偽装問題]]
 
{{誰範囲2|date=2015年7月8日 (水) 02:10 (UTC)|このほかにも、[[JR福知山線脱線事故]]で、列車が衝突したマンションの住民に対して自己責任論を主張する者もいる。事故のあったマンションは線路のカーブから近接した場所にあり、最悪の事態も想定できたであろうから、損害の一部は住民が自己責任として負担すべきという考えである。しかし、これは、国家が私人を救済すべきかという意味で使われてきた自己責任論とは本質的に異なる。この論者は、私人間での不法行為に基づく損害賠償債務について「被害者が事故の発生するリスクを認識できた可能性がある以上、事故発生につき被害者に過失(結果回避義務違反)がなくても、損害の一部ないし全部を被害者が負担すべき(法的には、被害者に過失がなければ過失相殺はされない)」と主張しているのである}}。
 
[[奥谷禮子]]のように、[[格差社会]]・[[過労死]]を肯定する根拠に用いる[[経営者]]も存在する。貧困格差は労働者の怠慢、過労死は労働者の自己管理の失敗による当人の自己責任であるから、経営者側に責任や救済義務はないとする主張である。
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[[大韓民国|韓国]]では、[[2007年ターリバーン韓国人拉致事件]]の際に自己責任論が主張されたことがある。
 
== 用語 ==
* [[証明責任]]
* [[中間的責任]]
* [[危険責任]]
* [[担保責任]]
* [[使用者責任]]
* [[無過失責任]]
* 責任財産
*:[[強制執行]]の対象となる財産。
* 報償責任
*:自己の行為によって利益を得ている者は、利益を得る過程で他人に与えた損害を、その利益から賠償しなければならない責任をいう。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 関連書籍 ==
{{No footnotes|date=2017年7月|section=1}}
* [[小浜逸郎]]『「責任」はだれにあるのか』 [[PHP研究所]]  ISBN 4-569-64627-1
* 大庭健『「責任」ってなに?』 講談社現代新書 講談社 ISBN 4061498215
* [[斎藤貴男]]『安心のファシズム』 [[岩波新書]] ISBN 978-4004308973
: 第一章で、[[イラク日本人人質事件]]における自己責任論について考察している。
* [[佐伯啓思]]『自由とは何か-「自己責任論」から「理由なき殺人」まで』 講談社現代新書 講談社 ISBN 4061497499
* 佐藤真紀・伊藤和子『イラク「人質」事件と自己責任論―私たちはこう動いた・こう考える』 大月書店 ISBN 4272210807
 
== 関連項目 ==
* [[責任能力]]
* [[権利]]
* [[義務]]
* [[国家賠償法#国家無答責の法理|国家無答責の法理]]
* [[間接正犯]]
* [[過失]]
* [[錯誤]]
* [[違法性]]
* [[身分犯]]
* [[自由意志]]
* [[帰属理論]]
* [[スケープゴート]]
* [[格差社会]] - [[新自由主義]]
 
== 外部リンク ==
* {{IEP|responsi|Responsibility}}
* [https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/handle/2324/1239?mode=simple 明治前半期の民事責任法]
 
{{DEFAULTSORT:せきにん}}