「世界遺産」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
少し補足
編集の要約なし
36行目:
上述の2つの流れは、[[国際連合人間環境会議]](1972年)に先立つ政府間専門会議でのユネスコ事務局長{{仮リンク|ルネ・マウ|en|René_Maheu}}の提案もあり、一本化されることで合意された<ref>{{Harvnb|松浦|2008|pp=76-77}}</ref>。その結果、同年[[11月16日]]、パリで開催された第17回ユネスコ総会(議長[[萩原徹]])にて、一本化された「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」([[世界遺産条約]])が採択された<ref name = sekaken2016a_p15>{{Harvnb|世界遺産検定事務局|2016a|p=15}}</ref>。翌年[[アメリカ合衆国]]が最初に批准し<ref name = sekaken2016a_p15 />、1975年9月17日に締約国が20か国に達した<ref name = matsuura_p80>{{Harvnb|松浦|2008|p=80}}</ref>。これによって発効の要件を満たしたため、3か月後の12月17日に正式に発効した<ref name = matsuura_p80 />。
 
1976年11月には第1回世界遺産条約締約国会議が開かれた。締約国会議はユネスコ総会に合わせる形で(つまり2年に1回)開催され、世界遺産委員会の委員国選出や[[世界遺産基金]]への各国の分担金額の決定が行われる<ref>{{Harvnb|東京文化財研究所|2017|p=53}}</ref>。その第1回会議で最初の[[世界遺産委員会]]の委員国が選出され、翌年には[[第1回世界遺産委員会]]が開催された<ref>{{Harvnb|松浦|2008|pp=80-81}}</ref>。この委員会で採択されたのが、世界遺産登録の基準なども含む「世界遺産条約履行のための作業指針」(The Operational Guidelines for the Implementation of the World Heritage Convention, 以下「作業指針」と略記)であり、この「作業指針」はその後も改定を重ねることとなる<ref>{{Harvnb|松浦|2008|p=82}}</ref><ref group = "注釈">本項目で「作業指針」の参照箇所を示す場合は、原則として、二次情報源である{{Harvnb|東京文化財研究所|2017}}の言及箇所を併記している。</ref >。
 
そして、[[1978年]]の[[第2回世界遺産委員会]]で、[[エクアドル]]の[[ガラパゴス諸島]]や[[西ドイツ]]の[[アーヘン大聖堂]]など12件(自然遺産4、文化遺産8)が、最初の世界遺産リスト登録を果たした(いわゆる「世界遺産第1号」<ref>{{Harvnb|松浦|2008|p=84}}</ref>)。翌年の第3回世界遺産委員会では、世界遺産制度のきっかけとなった[[ヌビア遺跡]]なども含む45件が登録され、一気に5件ずつ登録したエジプトとフランスが保有国数1位となった<ref>{{Harvnb|松浦|2008|pp=142-143}}</ref>。この第3回世界遺産委員会は、最初の[[複合遺産 (世界遺産)|複合遺産]]([[ティカル|ティカル国立公園]])が誕生した会合であるとともに<ref>{{Harvnb|安江|2011|p=31}}</ref>、直近の大地震で大きな被害を受けた[[コトル|コトルの自然と文化歴史地域]]([[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]<ref group = "注釈">ユーゴスラビア解体を経て、現在は[[モンテネグロの世界遺産]]となっている。</ref>)が最初の危機遺産リスト記載物件になった会合でもある<ref>{{Harvnb|日本ユネスコ協会連盟|2007|pp=21,31}}</ref>。その後は、1980年の第4回世界遺産委員会における[[ワルシャワ歴史地区]]登録([[#完全性|後述]])など、議論になる案件もあったものの、締約国、登録件数とも増加していった。