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== 粗食としての麦飯 ==
麦飯は、かつては米より食味で劣り、かつ安価で流通していたため、粗食であり、貧民の食物という社会的な観念があった<ref>現在(2015年)の押し麦の小売価格はコメと同等か、品種によってはむしろコメより高い場合もあり、麦飯を粗食とする社会通念は薄れつつある。</ref>。そのため[[吉田茂]]内閣の[[池田勇人]][[大蔵大臣]]の発言が「[[貧乏]]人は麦を食え」の見出しで新聞に掲載され、物議を醸した<ref>池田は「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」と締めくくったが、これが吉田政権に対して厳しい態度を取っていた新聞を刺激した。 翌日の朝刊は「貧乏人は麦を食え」という見出しで池田の発言を紹介、これが池田自身の発言として伝わり、各方面から強い批判を受けることになった。</ref>。しかしその優れた栄養価から、支配的階級の人物にあって麦飯を食していた人物も少なくなく、[[徳川家康]]や[[昭和天皇]]は生涯、麦飯を主食として食し続けたことで知られている。ちなみに徳川家康も昭和天皇も、長寿であり生涯を通して健康体の持ち主であった。
 
[[日本の刑務所]]では、近代の[[懲役刑]]の導入とともに麦飯が導入され、米:麦=7:3の比率のものが標準とされている。俗に刑務所の食事を「臭い飯」と呼ぶが、これはかつては刑務所の食事が低予算の関係から非常に質が悪く、また終戦後など食料事情の悪い時代には[[インディカ米|南京米]]の、本当に臭気のする飯が服役者に出されていたことによる<ref>堺利彦の記録によると、三食の予算が一銭二厘といい、南京米の飯は最初とても喉を通らなかったという</ref>。現代の刑務所の麦飯は、臭いということはない
 
== 健康食としての麦飯 ==