「ブライアン・フェリー」の版間の差分
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| Origin = {{flagicon|England}}[[イングランド]]・[[シティ・オブ・サンダーランド]]・[[ワシントン (イングランド)|ワシントン]]
| Instrument = ヴォーカル、キーボード、ハーモニカ、ギター
| Genre =
| Occupation = [[シンガーソングライター]]
| Years_active = 1971年 - 現在
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== 来歴 ==
イギリス、[[イングランド]]北部[[ニューカッスル・アポン・タイン|ニューカッスル]]郊外[[ワシントン (イングランド)|ワシントン]]
[[1971年]]に[[ロキシー・ミュージック]]結成、[[1972年]]に『ロキシー・ミュージック』でデビュー。[[1973年]]にはバンドと並行してソロ活動も開始し、全曲カヴァーのソロ・デビュー作『愚かなり、我が恋』発表。[[1974年]]末、ロキシー・ミュージックの活動の合間を縫って、初のソロ・コンサートを行う。フェリーは、75年から77年にはキャリアのピークを迎える。1975年にはロキシーとしての「恋はドラッグ」がアメリカでもヒットした。76年から77年にかけての「レッツ・スティック・トゥゲザー」「トキヨー・ジョー」は彼の作品の中でも特にデキが良く、評価が高かった。[[1975年]]にロキシー・ミュージックが解散してからは、ソロ活動に専念し、[[1977年]]に初来日公演を行う。
[[1979年]]から[[1983年]]にかけて、再結成ロキシー・ミュージックで活動。その後ソロ活動を再開させ、[[1985年]]にはアルバム『ボーイズ・アンド・ガールズ』が
[[1997年]]、『イン・ユア・マインド』(1977年)収録曲「TOKYO JOE」が、[[
[[2001年]]、ロキシー・ミュージックの再々結成ツアーに参加。
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== 音楽性 ==
{{出典の明記|date=2013年8月}}
ロキシー・ミュージック
▲ロキシー・ミュージックでは、ヨーロッパ的ダンディズムを感じさせるサウンドと奇抜なファッションから、[[グラム・ロック]](グリッター・ロック)の一派とも目されたが、ブライアン自身は、[[ジャズ]]や[[ソウル・ミュージック]]といった[[ブラック・ミュージック]]からも影響を受けている。
自身も優れたソングライターで、ロキシー・ミュージックでは曲作りの中心を担っていたが、ソロ活動では、他人の曲をカヴァーするのも好んでいる。ボブ・ディランの「激しい雨が降る」、ビーチ・ボーイズの「ドント・ワリー・ベイビー」、プラターズの「煙が目に染みる」などはデキの良いカバーだった。『タクシー』は[[ブラックミュージック|黒人音楽]]のカヴァーが中心だが、[[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]のカヴァーも含む。『ディラネスク』は全曲[[ボブ・ディラン]]のカヴァー。他にも[[ビートルズ]]や[[エルヴィス・プレスリー]]等を取り上げている。
基本的にシンガーであるが、ハーモニカやギター、キーボードも演奏する。特に
== ディスコグラフィ
=== ロキシー・ミュージック ===
[[ロキシー・ミュージック]]の項目参照
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