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== 概要 ==
『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』内のコーナーで「ほんとのうたばん」の企画の1つで、[[KinKi Kids]]のパロディでとんねるずのバックで踊っていたことが発端となって結成されたユニット。メンバーは同番組スタッフの'''平山晃哉(アクリル装飾)、神波憲人(衣装)、成井一浩(大道具)、飯塚生臣(特殊効果)、大原隆(大道具)、網野高久(持道具)、星野教昭(運転手)、半田一道(スチルカメラマン)、高久誠司(カメラクレーン)'''に加えとんねるずの'''石橋貴明、木梨憲武'''で構成されていた。なお、デビューシングル『Get down』時のみのメンバーに'''神原孝(ディレクター)、太田一矢(ディレクター)'''が7thシングル『First impression』にのみ'''荒井千佳(音声)、'''9thシングル『太陽の化石』時のみのメンバーに網野と入れ替わる形で'''浅野吉朗(放送作家)'''10th『star』に一般からのオーディションで'''小林紗貴'''がいる。
 
名前の由来は[[野猿街道]]にある[[ラブホテル]]「[[ホテル野猿]]」である(とんねるずのオールナイトニッポン時代に石橋が「すごい名前のホテルの看板(当初「のざる」と誤読)を見た」とその強烈なネーミングに感心していた)。当時ホテル野猿では野猿のCDやファンクラブ「大道具通路」の会員カードやを持参すると割引サービスがあった(CDデビューから一ヶ月限定)。番組内では[[FIFAワールドカップ]]予選で日本初出場を決めるゴールを挙げた[[岡野雅行 (サッカー選手)|岡野雅行]]のニックネーム「野人(やじん)」より由来(「岡野は野人だから、君たちは野猿」と石橋が名づけた)とされたが、これは他の番組に出演するために後から付けられたものである。
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3rdシングル『SNOW BLIND』から表題曲のボーカルに成井が外され、4thシングル『Be cool!』以降は完全にダンサーチームとなった(ただしライブでそれ以前の曲を披露する場合はボーカルチームに加わる)。
 
『SNOW BLIND』では野猿ドラフト会議が開かれ、全国CDショップの店員がドラフト形式で野猿メンバーの1人を手売り即売会に引き抜いていき、売上最下位のメンバーは罰ゲームが用意された。結果抽選で木梨が最も田舎の秋田県男鹿市のCDショップに当たる。不安の中で向かったが実際には7500人が待機しており結果はダントツの1位であった(なお後年、同番組に[[佐々木希]]がゲスト出演した際、この男鹿の即売会に来ていたと語っている)。結果最下位は網野となり既に坊主にして間もなかった頭をまた丸坊主にする事になった。
 
=== 1999年 ===
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2018年2月8日にに放送された『みなさんのおかげでした』「激昂!タカノリ被害者達が最後に大クレーム とんねるず大反省会」で、ひな壇に平山、成井、半田、大原、網野、飯塚が出演した<ref>[https://natalie.mu/music/news/268763 野猿が今夜「とんねるずのみなさんのおかげでした」出演],音楽ナタリー,2018年2月8日</ref>。またエンディングに『TODAY』が使用された。
 
== 出演歴 ==
* [[1999年]]7月18日には『[[FNS27時間テレビ]]』の「[[BISTRO SMAP]]」のコーナーに生出演。
* 1999年から『[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]』に2年連続出場。
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* 石橋が司会を務める『[[うたばん]]』などにもデビューから頻繁に出演していた。なお木梨は、野猿が『うたばん』に出演が可能になるまで、自身が[[TBSテレビ|TBS]]を出入り禁止になっていた事を自ら語っている。
* [[フジテレビジョン|フジテレビ]]の音楽番組では、1998年・1999年の2年連続で『[[FNS歌謡祭]]』に出演した。また1998年では、同番組の大トリを務めた。
* しかし、もともとのルーツである[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の音楽番組である『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP]]』には一度も出演した事が無い。これに関して[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]の[[松本人志]]は自身のラジオ番組『[[放送室 (ラジオ番組)|放送室]]』で「何でなんやろ?野猿が『HEY!HEY!HEY!』に出てもいいし、[[Re:Japan]]が『うたばん』に出たってええやんか」と語っている。ちなみにRe:Japanも『うたばん』に出演したことは無い。
* 撤収直前の[[2001年]][[3月]]には、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』の「[[テレフォンショッキング]]」に最後の出演をした。
 
== メンバー ==
=== ボーカルチーム ===
; [[石橋貴明]](いしばし たかあき / [[とんねるず]])
: 愛称:'''タカ'''
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:愛称:'''テルリン'''(後に平山ちゃん)、勘違い1号、赤玉ブラザース(兄)、しぇんしぇい、大使
::必殺技:テープ貼り(どこにでもなんにでも貼れる)、午前4時過ぎ「エロチカ」に変身、実は涙もろい。
:: [[北海道]][[虻田郡]][[虻田町]](現・[[洞爺湖町]])出身で[[マリモ]]を愛する。サングラスにドレッドヘアーが特徴。その歌唱力はプロ以上とも言われ、ボーカルオーディションの際、後藤次利に「駄馬の中に一頭だけGIGI馬」と評され、石橋からも「僕より上手い」「勝てる気がしない」と言われた。唯一ソロ曲を持っているメンバー(アルバム「[[STAFF ROLL]]」に収録)。野猿人気投票ではトップ3以下になったことはない。野猿の活動での実績が認められ、[[洞爺湖]]の観光親善大使に抜擢された。スノーボード2級の腕前。ギターとドラムを演奏できる。ギターを弾きながら神波と一緒にボーカルの練習をするシーンが映される事もあった。
; 神波憲人(かんなみ のりひと [[1971年]][[5月8日]] - 、[[衣装]] / [[東京衣装]]所属(当時)) :愛称:'''カンちゃん'''、勘違い2号、赤玉ブラザース(弟)
::必殺技:メジャー縛り、泣き上戸、ゲラ、鍋奉行、宴会部長
::[[新潟県]][[上越市]]出身。小柄。DNAレベルで一族がみな同じ顔。甘いルックスと笑顔で女性ファンの人気の的。[[矢沢永吉]]の大ファンで、ボーカルオーディションでは後藤次利に「彼のバックでベースを弾きたい」と評された。赤い髪のイメージが強いが実際は緑や茶、黒等それ以外の期間の方が長く、一時期矢沢永吉を真似てリーゼントにしていたこともある。撤収ツアー初日に腰をいためるが、リハビリをしながら完全撤収まで完走をした。現在は独立し自身の"E'dge"を立ち上げデザイナー・スタイリストとして活動中。野猿活動中は彼女イナイ暦=年齢と称されていた。平山とは野猿結成前からスノボ仲間で、師弟関係にあった。酒を飲むとすぐ泣く。2013年に結婚し、子供もる。
 
=== ダンサーチーム ===
; 成井一浩(なるい かずひろ [[1970年]][[5月10日]] - 、[[大道具]] / [[東宝舞台]]所属)
: 愛称:'''ナルナル'''
::必殺技:ナグリ(トンカチ)で自分の指を叩く(よく爪もはがす)
:: 2ndシングルまでボーカルチーム。3rdシングルよりダンサーチームへ移行。(「SNOW BLIND」リリース時に開催された野猿ドラフトではヴォーカルチームとして紹介されている)。ボーカル時代も、テルリンとカンちゃんに比べればソロパートが少なめだった。大食い。野猿としての活動以前に番組内で「タレントの気持ちがわかる大道具」として[[プロポーズ大作戦 (バラエティ番組)|プロポーズ大作戦]]のフィーリングカップル5vs5のパロディで「'''成井フィーリングカップル1vs50'''」と題して彼女を募集していたこともあり、視聴率'''20%'''を叩き出した。これらのことから、野猿デビュー前ではメンバー1人気者であった(秋元康曰くスター性がある)。非常に奥手な性格で27歳まで恋人がいなかったが、その後番組の女性スタッフとの交際が発覚した。実家は金持ちで、犬を4匹飼っている。メンバーで唯一酒が全く飲めない。撤収ツアーはリハーサル中に体調不良を訴え、「肺気胸」と診断されたため出演を断念。通院の結果「完全撤収」に間に合った。
; 飯塚生臣(いいづか いくおみ [[1972年]][[1月3日]] - 、/ [[特殊効果]] / [[東京特殊効果]]所属※)
:愛称:'''ジェリー'''
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:愛称:'''バカ'''、リーダー
::必殺技:AV男優と一緒に○○できる
:: 「バカ」の愛称が表す通りのキャラクターで、パスポートを「旅のしおり」と呼ぶ、アメリカがどこにあるのか知らない、台湾を知らない、自分の名前を書き間違える等数々の伝説を残す。メンバー最年少だが、ダンサーチームでも実力があったため、ある時期までリーダー格だった(ただの「リーダー」ではなく「[[パシリ]]ーダー」だった、という話もあり)。2007年、担当番組[[アイドリング!!!]]の企画「スタッフ飲み!!!」(小ジョッキの水を連続で飲むことが出来る数を競う)に登場し15杯という記録で優勝した。
; 網野高久(あみの たかひさ [[1966年]][[2月3日]] - 、/ 持道具 / [[京阪商会]]所属)
:愛称:'''シュウ'''
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※はユニット「アニマルズ」メンバー
 
=== 一時加入 ===
; 荒井千佳(あらい ちか / [[音声]] / [[ニユーテレス]]所属)
: 愛称:CA
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:: 撤収ツアーでは『[[First impression (野猿の曲)|First impression]]』『[[First impression (野猿の曲)#収録曲|TODAY]]』にもCAの代理として参加。
 
=== 元メンバー ===
以下は結成時及び1stシングル『[[Get down]]』当時のメンバー。またジャニーズ・シニア?時代のみのメンバーにカメラマンの秋山勇人がいる。
; [[神原孝]](かんばらたかし / [[ディレクター]](当時) / [[音組|フジテレビ音組]]所属(当時))
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::第一回人気投票後の視聴者による第二回人気投票で最下位となり、2ndシングル「[[叫び (野猿の曲)|叫び]]」の踊りの振り付けを覚えたにもかかわらず、PV録りで海外へ行く飛行機搭乗直前の[[成田国際空港]]で卒業。残留メンバーが海外に行く中で、空港内での控え室で取り残されるハメに。卒業後もスペシャル企画「アメリカちょっとだけ横切りウルトラクイズ」や、「ほんとのうたばん」([[宇多田ヒカル]]のパロディ等)に出演。野猿のCDやDVDにディレクターとして参加していた。
 
=== サポート ===
* [[松浦勝人|MAX松浦]]([[エイベックス・グループ|avex]][[プロデューサー]])
* [[秋元康]]([[作詞]])
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:メンバー入れ替えを提案し、抽選にて平山・神波が抜けると、本人が新メンバーと豪語して参加。しかしダンスの練習についていけず謝り、木梨に激怒され抜ける。
 
== 作品 ==
=== シングル ===
# [[Get down]](1998年4月29日)
# [[叫び (野猿の曲)|叫び]](1998年9月17日)
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# [[Fish Fight!]](2001年2月28日)
 
=== アルバム ===
#[[STAFF ROLL]](1999年3月10日)
#[[evolution (野猿のアルバム)|evolution]](2000年3月1日)
#[[撤収 (アルバム)|撤収]](2001年3月14日) - ベストアルバム+新曲5曲
 
=== ビデオ・DVD ===
#[[YAEN CONCERT IN YOKOHAMA ARENA 1999]](1999年7月7日・ビデオのみ)
#[[YAEN 2000GTR Budokan Limited Inter Cooler Daihappyokai]](2000年7月19日)
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#[[完全撤収 四時間伝説]](2001年7月25日)
 
=== 関連本 ===
* 野猿の本([[扶桑社]]刊、1998年発売)
 
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*※'''イベント'''(1998年東京都六本木のヴェルファーレで行われたオリコンイベントに出演している。)
 
== 出演した番組 ==
<!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 -->
* [[とんねるずのみなさんのおかげでした]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系)
268行目:
* [[JAPAN BOYS]](フジテレビ系)
 
=== 音楽番組 ===
* [[うたばん]]([[TBSテレビ|TBS]]系)
* [[ミュージックステーション]]([[テレビ朝日]]系)
288行目:
* [[第41回日本レコード大賞]](TBS、1999年企画賞受賞)
 
=== ラジオ ===
* 野猿の[[オールナイトニッポン]]([[ニッポン放送]]、2001年2月23日)
 
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*[[モーニング娘。]] - 同時期に活躍していたテレビ番組から生まれた多人数グループ。うたばんにて対決企画を行ったり、女猿がモーニング娘。を参考にして結成されるなど、野猿とは縁が多い。
 
== 外部リンク ==
* [http://www.avexnet.or.jp/yaen/ 野猿]
* [http://sinken-shop.main.jp/ Children Base(神波憲人個人HP)]