「エジレイ オプティカ」の版間の差分

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== 運用 ==
[[File:Edgley EA-7 Optica AN2055538.jpg|thumb|250px|プロトタイプ]]
[[ライカミング・エンジンズ]]製の[[:en:Lycoming O-320|O-320]]を装着して[[1979年]]12月14日<ref name ="donald"> Donald 1997, p.375. </ref>に初飛行を行った<ref name="Bug p1594"> ''Flight International'' 12 May 1979, p.1594.</ref>。より高出力の[[:en:Lycoming O-540|ライカミング O-540]]を装着した<ref name="Production p1111"> ''Flight International'' 21 April 1984,p.1111.</ref>オプティカは[[1983年]]に生産に入り、[[1985年]]2月8日に型式認定を取得し<ref name="Janes p294"> Taylor 1988, p.294.</ref>20万[[イギリスポンド|ポンド]](当時)で販売されると、イギリスでは一部の地方警察の航空隊が採用した。この価格はかなり小型の1〜2人用レシプロエンジンヘリコプターと同価格帯であり、飛行時間や航続距離、ヘリコプターパイロット資格が不要なことや、[[ランニングコスト]]までみれば、ヘリコプターより遥かに安価である。
 
1985年5月15日に警察の機体(''G-KATY'')が墜落し、[[ハンプシャー]]警察の職員2名が死亡した<ref>[http://www.hants.gov.uk/hchs/optica.html Hampshire Council]</ref>。事故の原因は速度が変わりやすい旋回中の速度不足による[[失速]]が疑われたが、この低速度の理由は解明されなかった<ref name="cause"> ''Flight International'' 30 August 1986, p.54. </ref>。この事故が発端で会社が破産したが、生産とサポートを継続するため[[1985年]]10月にオプティカ・インダストリーズ社が設立された。ここで25機を追加生産したが、放火により工場と飛行中の1機を除く全ての機体が焼失した。その後、ブルックランズ・エアクラフト社(Brooklands Aircraft)として再生され、同社が[[1990年]]3月に破産するまでオプティカの生産を続けた。