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*初演:第1楽章と第3楽章は[[1939年]][[1月9日]]、[[ニューヨーク]]・[[カーネギーホール]]にて、[[ヨーゼフ・シゲティ]]のヴァイオリン、[[ベニー・グッドマン]]のクラリネット、[[エンドレ・ペトリ]]のピアノで。全3楽章の形では[[1940年]][[4月21日]]に同じくカーネギーホールで、シゲティとグッドマンに作曲者自身のピアノで行われた。
 
== 作曲の経緯 ==
バルトークへの作曲依頼は、1938年8月11日に同胞のヴァイオリニスト、[[ヨーゼフ・シゲティ]]が彼に送ってきた手紙によってなされたが、公式に作品を依嘱したのは[[スウィング・ジャズ|スウィング]]の王様ことジャズクラリネット奏者の[[ベニー・グッドマン]]である。アメリカで活動していたシゲティはグッドマンと親しくなっており、1938年の夏にヨーロッパツアー中のグッドマンとシゲティはリビエラで会い、2人はピアニストであるバルトークも加えた3人で共演できる曲が書けるかを問い合わせることにしたのだった。
 
シゲティの手紙の中では、ヴァイオリンとクラリネットにそれぞれ華やかなカデンツァを盛り込んで欲しいとう依頼の他、以前にバルトークが以前に2曲書いている『ピアノとヴァイオリンのためのラプソディ』のようなおそらくは2[[楽章]]から成る6、7分程度の楽曲を望んだようだったが、バルトークはそれから一歩進めて3楽章構成としたこともあって、最終的な結果はずっと長くなった。
 
楽譜は1942年に出版され、シゲティとグッドマンに献呈されている。
 
== 楽曲構成 ==
作品には、[[トランシルヴァニア]]の、すなわち[[ハンガリー]]と[[ルーマニア]]のさまざまな[[民俗舞曲]]の旋律の要素が詰め込まれている。またグッドマンの依頼とうこともあってジャズ的な要素も感じさせる。
 
以下の3楽章から成る。
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[[Category:ピアノ三重奏曲]]
[[Category:バルトークの室内楽曲]]
[[Category:バルトークの楽曲]]
[[Category:クラリネットのための楽曲]]
[[Category:ヴァイオリンのための楽曲]]