「大阪市電南北線」の版間の差分

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しかし、沿線住民の反対があったため、梅田停車場前から桜橋、渡辺橋、肥後橋、湊町、難波、日本橋筋三丁目を経由して恵美須町二丁目に至る路線、および蜆橋筋新道路、大江橋南詰、渡辺橋南詰を経由する路線として敷設されることに決定し、1906年12月から工事に着手。
 
1908年8月1日に梅田から湊町を経由して恵美須町に至る区間が開通し、続いて11月1日に渡辺橋から大江橋の間が開通した。梅田から大江橋の間は1909年7月に発生した[[北の大火]](天満焼け)の整理のために工事が遅れ、1910年12月28日に開通した。ちなみに、本路線の梅田停車場前駅 - 大江橋北詰間には1905年8月市会で[[阪神電気鉄道|阪神電鉄]]の電車乗り入れが認められていた。これは大阪市の線路使用契約としては初のものだったが、実施はされなかった。
 
最初の廃止区間は1945年3月13日から14日にかけての大阪大空襲で被災した渡辺橋駅 - 大江橋間で、被災後休止となっていたが、復活することなく1960年10月10日に廃止された。