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[[File:Lili Elbe c1920.jpg|thumb|Lili Elbe, c. 1920]]
[[File:Lili Elbe 1926.jpg|thumb|Lili Elbe, 1930]]
'''リリー・エルベ'''({{lang-da-short|Lili Elbe}}、[[1882年]][[12月28日]] - [[1931年]][[9月13日]])は[[デンマーク]]の[[画家]]、[[イラストレーター]]であり、世界初の[[性別適合手術]]([[男性]]から[[女性]])を受けた人物として知られる。出生名は'''アイナー・モーウンス・ヴィーグナー'''{{refnest|group="注"|名字については言語によって様々な読み方が存在するが、元妻ゲルダの作品を集めた特別展を開いたデンマークの{{仮リンク|アーゲン現代美術館|en|Arken Museum of Modern Art}}の広報映像では、[[キュレーター]]が「ヴィーグナー」として紹介している<ref>{{YouTube time|onKAizJmxOs|GERDA WEGENER på ARKEN - ARKEN Museum of Modern Art|t=20s}}</ref>。}}<ref>デンマーク語の転記については以下参照:{{Cite journal|和書|author=新谷俊裕|author2=大辺理恵|author3=間瀬英夫(編)|title=デンマーク語固有名詞 カナ表記小辞典|journal=IDUN—北欧研究—|volume=|issue=別冊2号|pages=240|publisher=[[大阪大学]]世界言語研究センター デンマーク語・スウェーデン語研究室|date=2009|language=日本語|url=http://www.sfs.osaka-u.ac.jp/user/danish/dictionary/det%20hele.pdf|format=PDF|jstor=|issn=0287-9042|doi=|id=|naid=|accessdate=2016-12-28|ref=harv}}</ref>({{lang-da-short|Einar Mogens Wegener|links=no}})だったが、手術後法的に「リリー・エルベ」と改名している<ref name="guardian150928">{{cite web|url=https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2015/sep/28/gerda-einar-wergener-danish-girl-trans-painter|title=Gerda Wegener: 'The Lady Gaga of the 1920s'|first=Helen|last=Russell|date=2015-09-28|accessdate=2016-12-29|publisher=[[ガーディアン]]}}</ref>。
 
== リリーの生涯と<!--その元妻・-->ゲルダ ==
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エルベが女性の服装をするようになったのは、ゲルダの絵の[[モデル (職業)|モデル]]が現れず、代わりにエルベに[[ストッキング]]と[[ヒール (靴)|ヒール]]を身につけさせ、脚のモデルになるよう頼んだことがきっかけであった{{r|guardian150928}}。2人は[[1912年]]以降[[パリ]]に在住するようになったが、そのころからエルベは女性として生活するようになった。エルベは元来女性的な顔つきと体をしていたため、男性として公に出ても、ズボンをはいて[[男装]]した女性のように見えたという。[[染色体異常]]([[SRY]])や[[インターセックス]]の可能性も指摘されたが、真相は明らかではない。[[1920年代]]から[[1930年]]にかけては恒久的に女性の身なりで生活するようになった。また、この頃より「リリー・エルベ」(Lili Elbe あるいは Lily という記述の文献もある)と名乗るようにもなった。
 
そして、ついに女性の身体を求めて「[[母]]となるため」、1930年から1931年にかけて5回にわたる手術を受けることなるが、手術の[[拒絶反応]]が重く、術後は長生きできなかった。
 
まず1930年に[[ベルリン]]を訪れ[[マグヌス・ヒルシュフェルト]]の観察の下に[[睾丸]]摘出手術を受けた。次いで[[ドレスデン]]市立[[産婦人科]]診療所にて{{仮リンク|クルト・ヴァルネクロス|de|Kurt Warnekros}}により[[陰茎]]の除去と[[卵巣]]の移植手術が行われた。提供された卵巣は26歳の女性のものであった。この卵巣は拒絶反応により3回目と4回目の手術により再摘出されたが、1931年5回目の手術により[[子宮移植|子宮が移植]]され、50歳を前に念願の「母」の体となることができた。
 
[[File:KBVeljeStNicolai1881ffOpslag20.png|thumb|エルベは、手術後法的に改名・性別変更した]]
エルベの手術を知ったデンマーク国王[[クリスチャン10世 (デンマーク王)|クリスチャン10世]]は、前年の[[1930年]]に、エルベ(アイナー)とゲルダの婚姻を無効としていた(なお、当時のデンマークは刑法により[[同性愛]]を犯罪と規定していた){{r|guardian150928}}。それでもゲルダはエルベの[[性別]]移行を支援し{{r|guardian150928}}、エルベは法的性別の変更と「リリー・エルベ」と記された新しい[[パスポート]]を手にすることができた。しかしそのわずか3カ月後[[拒絶反応]]のために、48歳で死去した。エルベの亡骸はドレスデンに埋葬された。
 
リリーとゲルダの関係について述べるのは難しい。リリーが危険な手術を繰り返したのは、フランス人の画商クロード・ルジュンと恋に落ち、完全な女性になりたいと望んだからだった。ゲルダはそんなリリーを最期まで支援した。
 
手術の拒絶作用によるリリーの死後、ゲルダはイタリア人外交官の男性フェルナンド・ポルタと再婚し[[モロッコ]]へ航り、[[マラケシュ]]と[[カサブランカ]]で数年過ごす。その間に描いた絵の署名は、「ゲルダ・ヴィーグナー・ポルタ」であり、リリー・エルベ(アイナー・ヴィーグナー)との婚姻関係の痕跡を残している。1936年、ゲルダは再び離婚し、1938年にデンマークに戻り、[[1940年]]にその生涯を終えた。