「ジェイミー・サレー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m →‎外部リンク: カテゴリ修正 using AWB
45行目:
01-02シーズン、ラフマニノフの曲でフリープログラムを構成するが盛り上がりに欠けるため、[[ソルトレイクシティオリンピック]]に向け、2シーズン前と同じ「Love Story」を再びフリープログラムに使用することに決めた。
 
== ソルトレクシティオリンピック ==
過去99-00シーズンの世界選手権で優勝を狙った「Love Story」でサレーはソロの3トウループ、2アクセルを全て失敗し4位に終わったため、プログラムを若干変更しサレーの苦手とするソロの2アクセルの回数を2回から1回に減らした。
 
そして迎えたソルトレクシティオリンピックでは、サレー・ペルティエ組はショートプログラムで2位につけ、優勝を狙える位置にいた。しかしフリープログラム直前の6分間練習の間にサレーはロシアのシハルリドゼと接触してしまった。体の小さいサレーは胸を押さえて痛みを堪えた。
 
フリープログラムでは全ての要素をミス無く完璧に行い、「Love Story」を演じきった。勝利を確信したペルティエは、リンクにキスをし、サレーは自分自身の完璧な演技に信じられないという表情をした。観客は総立ちとなり大喝采で彼らを称えた。既にロシアのペアは演技を終えていたが男性がステップアウトする小さなミスを犯していた。しかし得点は5人の審査員がロシア組に1位、4人の審査員がサレー・ペルティエ組に1位で 5:4で彼らは2位の評価になってしまった。
 
この結果に満足出来ない北米メディアによるジャッジングへの大バッシングが開始された。その中でフランスの審判員がフランス連盟の会長から「(アイスダンスの[[マリナ・アニシナ|アニシナ]]&[[グウェンダル・ペーゼラ|ペーゼラ]]組を勝たせることと交換に)ロシア・ペアを勝たせてくれ」と言われていたと発言したという報道がなされ、事態は異常な方向に進んでいった。結局このフランスの審判員は後に正式な書類において、圧力は存在せず自分はロシア・ペアの優勝を確信していると表明したが、[[国際スケート連盟]]の[[オッタビオ・チンクアンタ]]会長の強引な裁定によってフランス人審査員の評価は取り消され、4:4のタイでロシア組とサレー・ペルティエ組の2組に金メダルが与えられた。
 
オリンピック後、アマチュアを引退しプロ転向。2005年12月30日にペルティエと結婚したが2010年6月に離婚した
 
== 主な戦績 ==