「高句麗」の版間の差分

=== 建国神話 ===
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『魏書』と『三国史記』によれば、高句麗は[[紀元前37年]]に夫余の王族である[[東明聖王|朱蒙]](チュモン)により建てられたという。朱蒙の母である[[中国]]の[[河伯]]([[黄河]]の神)の娘の[[柳花夫人]]は、太白山の麓の優渤水で[[夫余|扶余]]王の金蛙と出会ったが、柳花夫人は「遊びに出た先で、天帝の子を自称する[[解慕漱]]に誘われ付いて行くと帰して貰えず、両親一族の怒りを買ってしまい仕方なく此処に住んでいます」と話したが、信用されず東扶余王の元に連れて行かれ軟禁された。やがて柳花夫人は[[日光]]を浴びて身篭り、卵を産んだ。金蛙は卵を動物に食べさせたり踏ませたりしようとしたが動物や鳥は卵を守ったため卵を母親へ返し、暖めていると朱蒙が産まれた。朱蒙は子供の頃から非常に弓が上手く(朱蒙は弓の名手の意味)、これを危険視した夫余の人々は朱蒙を殺すよう勧めるが王は拒んだ。その後、馬飼いをしていたが策略によって王を駄馬に乗せ自らは駿馬を手に入れると、夫余の人々は再び朱蒙の殺害を企てるが、危険を察知した柳花夫人の助言により友と共に脱出して'''卒本'''へ至って建国したという。
 
=== 卒本城時代 ===
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