「服部高顯」の版間の差分

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==概要==
[[第八高等学校 (旧制)|第八高等学校]]、[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]卒業。裁判官になったあと陸軍に召集され、下士官を過ごした<ref>野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)66頁</ref>。英語が抜群の出来で、戦後は司法省大臣官房で連合国との折衝にあたった<ref>野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)66・67頁</ref>。最高裁民事局第一課長の時に家事審判規則の制定に参画した<ref name="nomura_67">野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)67頁</ref>。その後、司法研修所教官や東京地裁で裁判実務についた<ref>野村二郎「最高裁全裁判官」(三省堂)201頁</ref>。1954年にフォード財団が支援した日米法学者交流でアメリカの大学に2年間留学した<ref name="nomura_67"></ref>。帰国後、津地裁所長、東京高裁判事、福岡高裁長官、大阪高裁長官を歴任<ref name="nomura_67"></ref>。
 
1975年12月3日に[[最高裁判所判事]]に就任。