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== 概要 ==
予防戦争は敵との[[戦争]]が不可避であるという一般情勢、さらに敵の[[軍事力]]に対して防勢を行うよりも攻勢を打ち出すことが有効であるという軍事情勢についての判断の下で、我による先制攻撃によって開始される戦争である。しかし予防戦争には軍事的な困難が指摘されている。[[カール・フォン・クラウゼヴィッツ|クラウゼヴィッツ]]は軍事的な観点から防御、すなわち敵を待ち受ける軍事行動が攻撃よりも一般的に優れていると主張している。また[[アントワーヌ=アンリ・ジョミニ|ジョミニ]]も敵地侵攻には利点があるものの、情報の優位や住民の援助や確保できている我の国土で戦うことには重要な利点があることを指摘する。つまり予防戦争とはそのような防御の優位を犠牲にしてでも先制攻撃を加えることによって得られる利益が大きくなければならない
 
== 発祥・論議 ==
しかし1949年に[[アメリカ合衆国]]に続いて[[ソビエト連邦]]が[[核実験]]を成功させたことから[[核戦争]]の予防のために先制核攻撃によって敵の軍事力を破壊することが主張されるようになった。つまり軍事技術の革新によって実際的に防御不能な大規模かつ決定的な攻撃の可能性が生まれ、その新しい戦略的な状況が予防戦争の見方を大きく変えることになった。冷戦において予防戦争を行う合理性についての戦略研究には数学者[[フランツ・エルンスト・ノイマン|ノイマン]]や[[モルゲンシュテルン]]によって構築された[[ゲーム理論]]が導入され、その成果として[[囚人のジレンマ]]として一つの結論が導き出され予防戦争の一つの根拠となった。ウィルソン国防長官は1984年に議会で予防戦争を「敵がより強大となって、これに打ち勝つことができなくなる恐れがある時、わが方が強いうちに戦争をしかけること」と定義し、[[軍備拡張競争]]で将来的に劣位になる可能性のもとに予防戦争を実施することを示唆した。ただし、政治学者[[サミュエル・P・ハンティントン|ハンティントン]]が指摘するように予防戦争は必ずしも[[国家総力戦|全体戦争]]ではなく、予防限定戦争(preventive limited war)を研究することによって、予防的な先制攻撃を実施しても戦争の拡大を[[限定戦争]]の規模に留めることの意義を主張している。
=== 近世 ===
[[カール・フォン・クラウゼヴィッツ|クラウゼヴィッツ]]は軍事的な観点から防御、すなわち敵を待ち受ける軍事行動が攻撃よりも一般的に優れていると主張している。また[[アントワーヌ=アンリ・ジョミニ|ジョミニ]]も敵地侵攻には利点があるものの、情報の優位や住民の援助や確保できている我の国土で戦うことには重要な利点があることを指摘する。つまり予防戦争とはそのような防御の優位を犠牲にしてでも先制攻撃を加えることによって得られる利益が大きくなければならない。
 
=== 現代 ===
法的観点から見れば予防戦争は軍事行動に伴う法的判断の問題と関係している。予防戦争の法的問題は開戦法規と関連しており、[[自衛権]]を主張することが可能かどうかによって判断できる。自衛権とは敵性行為に対して自己保存を正当化する権利である。[[国際連合憲章|国連憲章]]では合法的な戦争行為として[[国際連合]]の[[集団安全保障]]の措置を定めており、集団安全保障の措置が行われるまでの間の緊急措置として各国の判断により自衛権を行使することが認められている。しかし自衛権の発動を宣言する要件として事態の緊急性、行動の必要性、さらに軍事行動が過剰とならないような均衡性の要件が考えられているために自衛権によって無制限の軍事行動が可能となるわけではない。それでも自衛戦争を発動する判断には困難な問題があることを政治哲学者[[マイケル・ウォルツァー]]は指摘しており、共同体に対する脅威の存在が明白であり、かつその脅威に対処するために他の選択肢がないと言えなければならないが、これは客観的な基準によって判断できるものではない。
しかし1949年に[[アメリカ合衆国]]に続いて[[ソビエト連邦]]が[[核実験]]を成功させたことから[[核戦争]]の予防のために先制核攻撃によって敵の軍事力を破壊することが主張されるようになった。つまり軍事技術の革新によって実際的に防御不能な大規模かつ決定的な攻撃の可能性が生まれ、その新しい戦略的な状況が予防戦争の見方を大きく変えることになった。冷戦において予防戦争を行う合理性についての戦略研究には数学者[[フランツ・エルンスト・ノイマン|ノイマン]]や[[モルゲンシュテルン]]によって構築された[[ゲーム理論]]が導入され、その成果として[[囚人のジレンマ]]として一つの結論が導き出され予防戦争の一つの根拠となった。ウィルソン国防長官は1984年に議会で予防戦争を「敵がより強大となって、これに打ち勝つことができなくなる恐れがある時、わが方が強いうちに戦争をしかけること」と定義し、[[軍備拡張競争]]で将来的に劣位になる可能性のもとに予防戦争を実施することを示唆した。ただし、政治学者[[サミュエル・P・ハンティントン|ハンティントン]]が指摘するように予防戦争は必ずしも[[国家総力戦|全体戦争]]ではなく、予防限定戦争(preventive limited war)を研究することによって、予防的な先制攻撃を実施しても戦争の拡大を[[限定戦争]]の規模に留めることの意義を主張している。
 
== 法的観点 ==
そして[[2001年]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]に対し、アメリカは半ば[[自衛戦争]]・半ばこれ以上のテロ攻撃にたいする予防戦争として[[アフガニスタン]]に、そして[[イラク戦争|イラクへ侵攻]]した。
法的観点から見れば予防戦争は軍事行動に伴う法的判断の問題と関係している。予防戦争の法的問題は開戦法規と関連しており、[[自衛権]]を主張することが可能かどうかによって判断できる。自衛権とは敵性行為に対して自己保存を正当化する権利である。[[国際連合憲章|国連憲章]]では合法的な戦争行為として[[国際連合]]の[[集団安全保障]]の措置を定めており、集団安全保障の措置が行われるまでの間の緊急措置として各国の判断により自衛権を行使することが認められている。しかし自衛権の発動を宣言する要件として事態の緊急性、行動の必要性、さらに軍事行動が過剰とならないような均衡性の要件が考えられているために自衛権によって無制限の軍事行動が可能となるわけではない。それでも自衛戦争を発動する判断には困難な問題があることを政治哲学者[[マイケル・ウォルツァー]]は指摘しており、共同体に対する脅威の存在が明白であり、かつその脅威に対処するために他の選択肢がないと言えなければならないが、これは客観的な基準によって判断できるものではない。
 
== 実証 ==
そして[[2001年]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]に対し、アメリカは半ば[[自衛戦争]]・半ばこれ以上のテロ攻撃にたいする予防戦争として[[アフガニスタン]]に、そして[[イラク戦争|イラクへ侵攻]]した。
 
== 関連項目 ==