「グスタフ・ヤノーホ」の版間の差分

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[[1920年]]、ヤノーホは20歳近く年の離れた[[フランツ・カフカ]]と出会った。カフカはヤノーホの父の同僚であり、この出会いもヤノーホが文学を志していることを知った父の計らいによるものであった。以来ヤノーホはカフカのもとをたびたび訪れ、またカフカも彼の才能を評価し、ヤノーホの幾つかの作品を友人を通して発表させるなどした。[[第二次大戦]]後、ヤノーホは無実の罪によって13ヶ月間の拘留を受け、この間の非人間的な体験のなかでカフカに関する手記を出版しようと思い立った。
 
ヤノーホはカフカの存命中に書き付けていた自身の手記やメモなどを探し出し、それらに回想などを加えて、[[1951年]]に『カフカとの対話(Gespräche mit Kafka)』として出版した。ヤノーホの描くカフカ像は文学的な求道者として理想化され過ぎるきらいはあるものの、[[ドーラ・ディアマント]]や[[マックス・ブロート]]は、この手記を読むとフランツ・カフカが目の前にいて話しているように感じると評価していた。
 
ヤノーホは当初はジャズの作曲や音楽評論の活動を行なっており、後には著述家として『カフカとの対話』のほか『プラハの出会い』などドイツ語の小説などを執筆し、またカフカのチェコ語訳に従事したことも合った。他の著書に『[[ヤロスラフ・ハシェク|ハシェク]]の生涯』などがある。
 
== 日本語訳 ==
*『カフカとの対話 手記と追想』([[吉田仙太郎]]訳、[[筑摩書房]][筑摩叢書]、1967年/[[ちくま学芸文庫]](改訳版)、1994年/[[みすず書房]]〈始まりの本〉、2012年)
*『ハシェクの生涯―「善良な兵士シュベイク」の父』 ([[土肥美夫]]訳、[[みすず書房]]、1970年)