「支那の夜」の版間の差分

2018年3月15日 (木) 13:34時、2016年10月24日 (月) 08:48時等過去合意違反部分修正
(2018年3月15日 (木) 13:34時、2016年10月24日 (月) 08:48時等過去合意違反部分修正)
| 配給 = [[東宝]]
| 公開 = {{Flagicon|JPN}} [[1940年]]([[昭和]]15年)[[6月5日]] 日本劇場
| 製作国 = {{JPN1889JPN}}
| 言語 = [[日本語]]、[[中国語]]
| 制作費 =
船員長谷哲夫と山下仙吉は、上海の雑踏で中年日本人男性と口論になっていた桂蘭という中国娘を救う。実は桂蘭は[[抗日]]の中国人で、日本人に恩を受けることを非常に嫌っており、助けてもらった借りを働いて返すと言って、長谷と山下の住むハウス(日本人専用のホテル)に付いてくる。住む家もなく上海の街を放浪していた桂蘭がその汚れを風呂で落とすと、その美しさに長谷は驚き、桂蘭の日本人に対する誤解を解くことを決意する。
 
実のところ桂蘭は、上海の資産家の娘で、[[大日本帝国]]の攻撃によって両親も家も失ったことで、日本人を相当憎んでいたのだった。ある日、高熱を出した桂蘭をホテルに住む日本人や、長谷を慕うとし子らが懸命に看病して治すが、桂蘭はその親切を素直に受けようとしないので、長谷は思わずその頬を打ってしまう。桂蘭は自分のひねくれた心を反省し、また長谷への想いにも気付く。
 
ある夜、桂蘭が、かつて属していた抗日組織に誘拐される。目的は、長谷から軍需物資の輸送計画を聞き出すことだったが、呼び出された長谷は断固として応じない。長谷が撃たれようとしたその時、桂蘭の機転で事態は一転し、駆けつけた警察によって長谷は救出される。このことで、長谷と桂蘭の仲は一気に深まり、二人は[[結婚]]することになる。
 
== 国策映画をめぐる議論 ==
本作は、[[大日本帝国]]の[[中国大陸]]進出を正当化するメロドラマであるとされ<ref>[[矢野誠一]]『二枚目の疵 長谷川一夫の春夏秋冬』文芸春秋、2004年、p.89</ref>、李香蘭という中国名でヒロインを演じた山口淑子も、日本人に殴られた中国人娘が殴った日本人に好意を抱く描写を中国人側から見ると屈辱的であると解説し、「日本は強い男。中国は従順な女。中国が日本を頼るなら、日本はこのように中国を守ってやろう」というのが本作のメッセージであるとしている<ref name="李香蘭">山口淑子『[[私の履歴書]] 「李香蘭」を生きて』[[日本経済新聞社]]、2004年、pp.58-60</ref>。李香蘭を中国人と思っている中国人の友人からもたびたび『支那の夜』を批判されていたという<ref>山口淑子、藤原作弥『李香蘭私の半生』新潮社、1987年、p.234</ref>。
 
このように「支那の夜」は、[[日中戦争]]の[[プロパガンダ]]を目的として作られた国策映画との考えが一般的である<ref>古川隆久『戦時下の日本映画 人々は国策映画を見たか』吉川弘文館、2003年、p.128</ref>。しかしこれを否定する議論がある。企画には[[日本軍]]や[[大日本帝国]]政府関係者が関わっておらず、恋愛が主体のメロドラマであるこの映画は、当時の国策映画像と大きくかけ離れたものだった。そのため、軍人<ref>「みづゑ」1941年1月号 国防国家と美術(座談会)</ref>・映画評論家<ref>「朝日新聞」1940年6月9日付夕刊 新映画評</ref>・映画検閲官<ref>「検閲の窓から 日本映画界について(完)」『新映画』1941年8月号、p.64</ref>・新聞の投書<ref>「読売新聞」1941年2月16日朝刊2面</ref>等から「国策に逆行する映画」である事を理由に様々な批判が浴びせられた。一見プロパガンダに思えるストーリーは映画検閲を逃れる対策<ref>木村千依男「日本映画抄」『キネマ旬報』1940年7月1日号、p.24 </ref>であったが、[[上海市]]の戦跡を舞台にしたメロドラマのシーンは検閲官を激怒させ、主演二人が抱き合うシーンは「弱腰すぎる」という理由でカットが行われた<ref>長谷川一夫『舞台・銀幕六十年』日本経済新聞社 、1973年、p.193</ref>。
 
[[歴史学者]]の[[古川隆久]]は国策映画説を否定し、「典型的な娯楽映画」であると主張している<ref>古川隆久『戦時下の日本映画 人々は国策映画を見たか』吉川弘文館、2003年、p.130</ref>。しかしその古川も、否定論は定説には至っていないと認めている<ref>古川隆久『戦時下の日本映画 人々は国策映画を見たか』吉川弘文館、2003年、p.2</ref>。