「アーチリュート」の版間の差分

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==歴史==
 
アーチリュートは歴史上、まずリュート・アティオルバートとして現れたとされる。[[アレッサンドロ・ピッチニーニ]]は[[1623年]]に出版した「リュートと[[テオルボ|キタローネ]]のためのタブラチュア集」において、自らが[[1594年]]に発明した楽器が拡張ネックおよび拡張バス弦をもった最初の楽器だと主張している。この楽器は、通奏低音のためよりは独奏曲の新たな可能性を模索したための発明であったことなどから、短い拡張ネックを持った楽器であり<ref>長い拡張ネックを持った楽器はネック部分の重みのために全体が重くなり、しかも重心がネック側に偏るため、ソロ演奏には有利でないとされる。</ref>、上記構造の項で「リュート・アティオルバート」と呼ぶものに相当すると思われている。ピッチニーニ自身はこの拡張バス付きリュートを ''arciliuto''(大きいリュート)と呼んでいる。リュート・アティオルバート liuto attiorbato は「テオルボ (tiorba) 化されたリュート」という意味なので、彼こそがこの拡張弦付きの楽器を発明した、という主張に反する名称だからである。しかしながら、この短い拡張ネックを持った楽器は1600年代前半にはしばしばリュート・アティオルバートと呼ばれていたのに対し、アーチリュートの語の用例は極めて稀である。また、この時期のイタリアでは、単に「リュート」といった場合リュート・アティオルバートを指す習慣があったとされる。たとえば、ピッチニーニ自身のタブラチュア集は「リュートとキタローネのための」となっているが、実際は拡張弦付きの14コースの楽器でなければこの曲集に含まれているリュート用の曲は演奏できない。
 
アーチリュートの名称は[[1680年]]頃から用例が増えている。ここでアーチリュートと呼ばれているのは、テオルボに代わる通奏低音楽器として広まったもので、前項記述の通り、長い拡張弦を持った楽器であったとされている。これは、17世紀後半から、通奏低音パートがしばしばヘ音記号の五線の上に跳び出すほどまで高くのぼるような曲が増えてきたため、1コースと2コースの調弦を1オクターブ下げているテオルボでは、これらバス音の上に和音が付けられなかったのが一つの要因であったとされる。また、テオルボのアーチリュートへの置き換えを助けたのは、ガット等の芯に細い金属のワイヤーを巻き付けた'''巻き弦'''が17世紀中ごろに発明されたことにもよっている。高い音を出すにはストップ弦長を短くしなければならないが、ストップ弦長を短くすると、5コース、6コースに太いガット弦を張ることになり、通りの良い明確な音が出せない。細くて重い巻き弦の発明によって短い弦長(特にストップ弦の5コース~7コースなど)でも輪郭がはっきりとして通りの良い音が出せるようになった。