「徳田球一」の版間の差分

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== 墓所・記念碑 ==
[[ファイル:Tokuda Kyuichi's ashes.JPG|thumb|170px|1955年9月17日、徳田の遺骨とともに北京から[[東京国際空港|羽田空港]]へ戻った[[志賀義雄]](左。右は徳田の妻たつ。)。]]
[[ファイル:Tokuda Kyuichi's comrades surround his portrait.JPG|thumb|230px|徳田の遺影を囲む共産党指導者ら(1955年8月)。<br />(前列左から、[[志田重男]]、[[野坂参三]]、[[紺野与次郎]]。後列左から、志賀義雄、[[宮本顕治]]、[[春日正一]])]]
墓は[[東京都]][[府中市 (東京都)|府中市]][[多磨霊園]]、東京都[[港区 (東京都)|港区]][[青山霊園]]の「解放運動無名戦士墓」、[[千葉県]][[松戸市]][[八柱霊園]]の徳田家墓に分骨されている。多磨霊園の墓には[[毛沢東]]が徳田の死に際して贈った告別題詞である「永垂不朽」の字が刻まれ、墓碑銘の文字は[[周恩来]]が書いたものである。葬儀の際には「徳田球一同志永垂不朽」と毛沢東自身が揮毫した横断幕が中国側から贈られていたが、[[渡部富哉]]によると現在は行方不明になっている<ref name="watabe">[http://chikyuza.net/modules/news2/article.php?storyid=253 白鳥事件関係裁判資料の公開と真相をめぐって]ちきゅう座スタディルーム</ref>。これを含め、徳田の関係資料を日本共産党は廃棄処分とし、現在も所在が不明のものがほかにもある<ref name="watabe"/>。
 
徳田の出身地である名護市の[[ガジュマル公園]]には、功績を記念して市によって記念碑が建立されている。記念碑には肖像の[[レリーフ]]とともに「為人民無期待献身(人民のために期待することなく献身する)」と彫刻されており、かつて徳田が好んで使い書いた言葉である。この記念碑は1998年に公費によって建てられたが、建立に際しては[[ (日本)|自民党]][[公明党]][[日本社会党|社会党]](当時)なども[[政党]]を越えて賛成をしたが、共産党は態度を保留していた。
 
この他、[[八王子市]]の[[東京霊園]]には「革命英雄記念碑」があり、徳田の功績を讃えている。これは[[日本共産党(行動派)]]が独自に建てたものである。なお、徳田の妻、たつは後年日本共産党を除名され、日本共産党(行動派)に合流、同じく除名された[[渡辺政之輔]]の妻、[[丹野セツ]]と共に「[[徳田・渡政会]]」を結成、相談役となった。
 
== 人物評 ==
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