「KC-10 (航空機)」の版間の差分

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開発はDC-10の貨物専用機型であるDC10-30CFを改設計することで進められ、開発作業は順調に進行し初号機は1980年7月12日に初飛行し、'''KC-10A'''の名称が与えられて同年より生産が開始された。生産は1990年まで行われ、計60機が製造された。
 
1981年より部隊配備が開始され、KC-10を装備する部隊は[[ニュージャージー州]]の[[:en:McGuire Air Force Base|マクガイア空軍基地]]と[[カルフォルニア州]]の[[:en:Travis Air Force Base|トラヴィス空軍基地]]に重点的に配置されている。なお、KC-10はコスト面や機体の大きさの面からKC-135を全て代替するものではなく、両機種は並行して装備・運用されている。
 
KC-10の戦歴としては、1986年に行われた[[アメリカ軍]]による[[リビア爆撃 (1986年)|リビア爆撃]](エルドラド・キャニオン作戦)が最初である。この時、[[イギリス]]の[[:en:RAF_Lakenheath|レイクンヒース空軍基地]]を発進した[[F-111 (航空機)|F-111]]部隊は[[フランス]]領空通過を拒否され、進撃に際し[[ジブラルタル海峡]]経由の迂回コースを取ることとなったため、この部隊に対し空中給油を行っている。また、[[湾岸戦争]]においても[[中東]]に集結する航空機に対し空中給油支援等を行い、近年の[[不朽の自由作戦|アフガニスタン戦争(不朽の自由作戦)]]および[[イラク戦争]]においても空中給油支援任務に就いている。
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設計原型機はDC-10の貨物専用機型であるDC-10-30CFであり、改設計にあたっては、大規模な変更点はなく機体設計の9割が共通している。変更点は機体下部の貨物室の一部が燃料タンクに変更されたことと、胴体尾部下面に空中給油装置が設置されたこと、計器類などの軍用規格への変更などに過ぎない。燃料タンクは原型のDC-10より7箇所増設されており、このために全ての下部貨物室に改造が施されたが、KC-135と違って貨物室全てが燃料タンクというわけではない。これは貨物室全てを燃料タンクにすると、重くて飛べなくなってしまうためである。最大で160t(200キロリットル)の燃料を搭載でき、これは[[B-52 (航空機)|B-52H]]ならば1.2機、[[F-22 (戦闘機)|F-22]]なら14機、[[F-35 (戦闘機)|F-35]]であれば51機分の燃料を満載状態にすることが可能な量である。
 
輸送機としては最初から空中給油/輸送の複合任務を果たせるように設計されており、床面にローラー・パレット用の装備が施されたキャビンに {{仮リンク|463Lパレット|en|463L master pallet}}が27枚搭載できる。最大搭載量は77tであり、人員も最大で77名を輸送できる。貨物扉は機体左側のみにあり、貨物の積載/荷降はこの扉からのみ行われる。
 
なお、KC-10自身もフライングブーム方式に対応した空中給油受油装置を装備しており、必要最低限の燃料のみで離陸した後、他の給油機から給油を受けることにより、最大離陸可能重量を上回る最大積載重量を実現することが可能である。