「金正日」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m 訂正、link追加
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
72行目:
金正日は[[1941年]][[2月16日]]に父親の[[金日成]]が逃亡先として滞在していた[[ソビエト連邦]](現在の[[ロシア]])の[[極東連邦管区|極東地方]]に生まれたとされる。正確な出生地については[[ハバロフスク]]近郊の[[:ru:Вятское (Хабаровский край)|ヴャツコエ]]にある北野営、[[ウラジオストク]]近郊の[[オケアンスカヤ]]にある南野営、[[ウラジオストク]]市内の病院といった諸説がある。出生名は'''ユーリイ・イルセノヴィチ・キム'''({{lang-ru-short|Юрий Ирсенович Ким}}, ''Jurij Irsenović Kim'')<ref name="life">{{cite web|url=http://www.life.com/gallery/26532/image/51407067/north-korea-secrets-and-lies#index/7|title=Kim Jong-Il, Kim Il-Sung - In the Family Business - North Korea- Secrets and Lies - Photo Gallery |publisher=LIFE|accessdate=2011-12-20}}</ref><ref>「イルセノヴィチ」はロシア式の[[父称]]で「イルソン(日成)の息子」を意味する</ref>。朝鮮式の幼名は有羅(ユーラ、김유라)。「有羅」はロシア人名「[[ユーリイ]]」に由来しており、ソビエト連邦出生説の根拠の一つともなっている。
 
ただし、北朝鮮側の発表では、金日成金正日を[[神格化]]する意図から、金正日の生まれ年を金日成の生まれ年である1912年と30年周期で合わせるため、金正日は[[1942年]][[2月16日]]誕生とし、生誕地も[[白頭山]](現在の[[中華人民共和国]][[吉林省]]と北朝鮮両江道の国境地帯にある)で誕生たとされている。[[1982年]][[2月15日]]、[[中央人民委員会]]より「白頭山密営にて誕生」という公式発表がおこなわれ<ref>『労働新聞』1982年2月15日付「金正日同志に朝鮮民主主義人民共和国英雄称号を授与することについて」</ref>、白頭山密営は「革命の聖地」とされた。[[1987年]][[2月]]には密営の建物(丸太小屋)が建設された。
 
また、名が「ユーラ」から「ジョンイル」に変わったのは[[朝鮮半島]]の解放後の[[連合軍軍政期 (朝鮮史)|ソビエト連邦軍政期]]とする説、[[1960年]]夏頃とする説がある<ref>金正日の学友の一人だった人物の証言によれば、金正日は南山高級中学校(高級中学校は日本の高等学校に相当)卒業直前の1960年7月に「最近“キム・ジョンイル”の名前で公民証が発給されたので、今後は“ユーラ”でなく“ジョンイル”と呼んでほしい」と語ったといわれる(韓国・[[中央日報|中央日報社]]編『金正日・衝撃の実像』[[徳間書店]] 1994年9月 ISBN 9784198601614)。</ref>。[[1980年]]の第6回党大会にて「金正日」という表記が確認された。<!--「正日」は父である金日成、[[金正淑]]から一文字づつ取り、ほかの兄弟たちとの差別化を図ったと考えられている。ほかの兄弟はみな「日」ではなく「一」の字を使った。(←ノートを反映して、とりあえずコメントアウト)-->「キム・ジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では「'''金正一'''」の字があてられていた<ref>日本のマスコミで金正日について初めて報道したのは[[毎日新聞]]([[1974年]][[11月19日]]付)。金正日は「金正一」と表記されている。</ref>(当時、朝鮮人が父母の名から字を取ることは稀であり、[[人名#朝鮮半島の人の名前|朝鮮の伝統的な命名ルール]]ではあり得ないこととされている)。