「コーラル・シー (空母)」の版間の差分

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コーラル・シーは1948年4月27日にトマス・D・デイビス[[大佐]]とジョン・P・ホイートリー[[少佐]]が操縦する二機の[[P-2 (航空機)|PV-2 ネプチューン]]によるジェット発艦実験を行うため、ノーフォークを出港した。これは中規模の機体による最初の空母発艦であった。1948年6月7日には[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]生を乗せ[[地中海]]および[[カリブ海]]を巡航し、8月11日に帰港した。
 
オーバーホールの後、コーラル・シーは再び[[チェサピーク湾]]のバージニア岬から活動を始める。1949年3月7日にジョン・T・ヘイワード大佐の操縦するP2V-3C ネプチューン[[対潜哨戒機]]は模擬爆弾を搭載し発艦した。P2V-3C はアメリカ大陸を横切り[[アメリカ西海岸|西海岸]]で搭載弾を投下、無着陸で帰還し[[メリーランド州]]{{仮リンク|[[パタクセント・リバー海軍航空基地|en|Naval Air Station Patuxent River}}]]に着陸した。これは空母からの長距離航空攻撃のデモンストレーションであった。
 
カリブ海での訓練後、コーラル・シーは1949年5月3日に[[第6艦隊 (アメリカ軍)|第6艦隊]]での初の任務のため地中海に向けて出航し、9月28日に帰還した。