「アントナン・アルトー」の版間の差分

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==生涯==
スミルナ(現在の[[イズミール]])出身のギリシャ人の両親の元、マルセイユで生まれる<ref name="authors">John Wakeman, World Authors, 1950-1970: A Companion Volume to Twentieth Century Authors</ref>。
幼少に罹患した[[髄膜炎]]の後遺症の痛みに耐えるために一生阿片などの麻薬を服用し続けた。1920年ごろから俳優活動をはじめ、また詩もものし始める。一時[[シュールレアリスム]]運動に加わるも、[[アンドレ・ブルトン|ブルトン]]と衝突。『[[新フランス評論|NRF]]』誌の[[ジャック・ヴィエール|リヴィエール]]との交信は有名。アルフレッド・ジャリ劇場を創設し、身体演劇である「[[残酷劇]]」を提唱。現代演劇に絶大な影響を与える。
 
1920年代後半には映画に関わる仕事が続く。[[アベル・ガンス]]監督の超大作映画『ナポレオン』(1926年)出演([[ジャン=ポール・マラー]]役)に続いて、サイレント映画の最高峰と評される[[カール・ドライヤー]]監督の『[[裁かるゝジャンヌ]]』(1927年)に出演(修道士ジャン・マシュー役)。また同じ時期に[[ジェルメーヌ・デュラック]]監督『[[貝殻と僧侶]]』(1927年)の脚本を書いている。