「中嶋企画」の版間の差分

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1991年一杯で中嶋が現役を引退すると、翌1992年からは中嶋を正式にチーム監督に据え、自社[[メンテナンス]]も開始。全日本F3000選手権(現・[[スーパーフォーミュラ]])、全日本ツーリングカー選手権(JTC及び[[全日本ツーリングカー選手権 (1994年-1998年)|JTCC]])、[[全日本GT選手権]](JGTC、現・[[SUPER GT]])などに参戦。
 
若手ドライバーの育成や登用に積極的であり、1989 - 1990年は[[野田英樹]]、1991年は[[中野信治]]が[[イギリス]]の[[ジュニア・フォーミュラ]]に参戦。中嶋がチームを指揮するようになってからは一層その姿勢が前面に打ち出され、[[高木虎之介]]をはじめ[[山西康司]]、[[松田次生]]、[[小暮卓史]]、[[武藤英紀]]と言った日本トップクラスのドライバーや、[[トム・コロネル]]、[[松田次生]]、[[ラルフ・ファーマン]]、[[アンドレ・ロッテラー]]、[[小暮卓史]]、[[ロイック・デュバル]]、[[武藤英紀]]など、世界的なレーシングドライバーを輩出している。
 
1997年には、かつて中嶋が在籍したF1の[[ティレル]]と提携。中嶋自身はスポーティング・ディレクターに就任し、秘蔵っ子であった高木虎之介がテストドライバーに起用された。翌年、高木はレギュラードライバーとなるも、提携は[[クレイグ・ポロック]]によるティレル買収により終了することとなった。なお、買収に関してティレル側から中嶋へも打診はあったが、調整がつかず買収には至らなかった。