「カルラエの戦い」の版間の差分
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クラッススはすぐに陣形を組ませた。左翼はカシウスの騎兵2000、右翼はクラッススの息子[[プブリウス・リキニウス・クラッスス]]のガリア騎兵1000、中央はオクタヴィウスが全歩兵を率いていた。クラッススは中央の歩兵が横長なのを、敵騎兵に突破されないかと心配し、縦に厚く布陣しなおさせた。パルティア軍が襲ってきた時、布陣はまだ終わっていなかった。
ローマ軍は[[テストゥド]]でそれまでパルティアの主力だった重装騎兵の攻撃を待ち受けたが、ひたすらパルティア
状況を打開せんとクラッススは、右翼のプブリウスに突撃を命じた。するとスレナスは退却するふりをしてこれを誘い出し、包囲して殲滅、プブリウスは自害した。
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