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明治25年([[1892年]])には天龍寺管長を龍淵に譲り、自分は林丘寺に隠栖する。明治30年([[1897年]])に再び天龍寺管長となり、再建工事を督促する。明治32年(1899年)に林丘寺住職を辞し、天龍寺再建に専念した。工事がほぼ竣工した直後に病にかかり、林丘寺雲母庵に寂す<ref>{{Cite book|和書|author=鷲尾順敬|year=1992|title=増訂・日本仏家人名辞書|publisher=東京美術|pages=179p}}</ref>。
== 一滴の水 ==
有名な「滴水」の字の因縁のお話。たまたま滴水が、手桶の僅かな余り水を何気なしに捨てたところ、儀山善来に一喝をくらった。'''一滴の水をも活かせ、一滴の水を無駄にすることこそ殺生なり'''と叱責をされたことが、その後の滴水の人生を大きく左右する。この叱声を肝に銘じ、後年道号を「滴水」とし師である儀山善来の教えを忘れなかった。そしてその思いが、遷化の時の次の遺偈になるのである。<br>
『'''曹源一滴 七十余年 受用不尽 蓋地蓋天'''』