「イ・サン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
76行目:
=== 主要人物 ===
; [[正祖|イ・サン(李祘)・チョンジョ(正祖)]]:[[イ・ソジン]]-([[川島得愛]])幼少期:[[パク・チビン]]-([[本城雄太郎]])
: この物語の主人公で思悼世子の次男で、英祖の孫にあたる。後の[[李氏朝鮮]]第22代国王・正祖。正室は[[孝懿王后|孝懿(ヒョイ)王后金氏]](清風金氏)
: 11歳の頃に[[老論派]]の陰謀によって父が刑死させられる直前にソン・ソンヨン、パク・テスらと出会い、身分を超えた友情を結ぶ。その後も2人を温かく見守りつつ、ソンヨンに好意を抱くようになる。父が刑死したのちに老論派の諸臣が「罪人の息子は王になれない」と主張したため、英祖の長男である[[孝章世子]]の養子となり、英祖の後継者(世孫)となる。持って生まれた洞察力と明晰な頭脳は祖父・英祖から受け継いだが、人間に対する暖かい見解が祖父とは異なる。学問が好きで、武芸にも優れる。「聖君になれ」という父の遺志を継いで王になることを決意し、祖父である英祖から後継者として多くを学び、成長後は父を死に至らしめた老論派を敬遠し、少論派や南人派などの臣下を身の回りに置き老論派を牽制するようになるが、即位を阻もうとする老論派の敵対勢力に命を狙われる。
: 25歳で即位する際には「私は、'''思悼世子様の息子'''だ」と臣下に向かって宣言し、父の無実と正当性を示した。[[水原市|水原]][[華城|華城 (世界遺産)]]に代表される優れた建設技術や新しい文物の西学導入など、朝鮮末期文化の華を開かせ、[[ハングル]]を創造した[[世宗 (朝鮮王)|世宗大王]](李氏朝鮮第4代国王)と並ぶ好学の王としての誉れ高いが、生涯に10回以上反対勢力からの刺客による暗殺未遂事件を起こされる波乱の人生を送った。
82行目:
: 第34回で行幸中にチョン・フギョムと共に髭を蓄えた。
 
; [[宜嬪成氏|ソン・ソンヨン(成松淵)]]・[[宜嬪昌寧成氏]]:[[ハン・ジミン]]-([[花村さやか]])幼少期:イ・ハンナ-([[前田瀬奈]])
: この物語のヒロイン。幼い頃に両親を亡くして女官見習いとして宮中に入る。この時まだ赤子だった弟ソンウクが養子に出され、生き別れる。父はかつて図画署に在籍しており、彼女も絵の才能に恵まれている。11歳の時に宮中で初めてサン、テスと出会い友情を結ぶ。その後、自分に好意を抱くようになったテスの気持ちを知りながらも、サンを一途に想い続ける。武器庫事件でサンを助けたことによりサンの敵に命を狙われ、パク・タルホとその甥であるテスとともに逃亡していたが、数年後に都に戻って3人で暮らし始めた。のちにサンに再会することを願って図画署の茶母(タモ、下働きの女性)になり、サンを陰で見守る。その後、慣例を破って図画署初の女性画員となり、自身の絵により英祖をはじめ、[[恵慶宮洪氏|恵慶宮(ヘギョングン)]]、孝懿王后らに力を貸し、のちにサンの側室になる。入宮初日に正祖(サン)と縁を結び、承恩[[尚宮]](スンウンサングン。王の寵愛を受けた女性に与えられる位階)になる。
: 清の商人事件を解決する手助けをした功績を認められ、懐妊したことで恵慶宮から正三品昭容(ソヨン)に叙せられた。正祖の最初の王子(元子、ウォンジャ)であるヒャンを産み、彼を世子とする為に正一品宜嬪に叙せられ<ref>先王英祖から与えられた[[淑嬪崔氏]](英祖の生母)の形見の指輪を大切に保管していた事で、入宮する前から英祖に認められていたことからわかり、晴れて昇叙した。</ref>、宜嬪成氏(ウィビン・ソン氏)となるが、間もなくして世子を[[はしか]]により失う。