「視覚障害者」の版間の差分

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視覚障害者のイメージを白杖を使う姿のより一般的な姿に更新。(両方を併記)
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: 研修やインターン制度がなかった[[医術開業試験]]時代でも、視覚が必要な臨床実験が必要だったので、医師国家試験の合格は不可能だった。筆記だけになった医師国家試験に合格しても、[[欠格]]事項として失明が規定されており免許の交付はされなかった。ただし[[第二次世界大戦]]後半には医師不足が深刻化したため、[[戦時中の医師不足対策|対策]]として各種条件が緩和された時期には、戦地から戻った傷痍軍人のリハビリ医としての役目が期待され、あはき業の視覚障害者にも免許が交付されることとなった。試験に合格した宮城県出身の男性は、現代の[[理学療法士]]に相当するリハビリ専門医として戦後も[[大崎市民病院|旧国立鳴子病院]]に勤務していた例がある<!--2005年に亡くなったそうです。--->。ただし、戦後になると欠格事項が復活し、2001年に撤廃されるまで、試験に合格しても免許の交付はされなかった。
=== 音楽家 ===
[[中世]]から[[語り部]]、[[琵琶法師]]、[[瞽女]]、[[箏曲家]]、[[三味線]]<ref>「[[風が吹けば桶屋が儲かる]]」の例でわかるように、盲人が多く[[三味線]]弾きを生業としていた。</ref>演奏家など、[[音曲]]を生業とする盲人は多かった<ref>小沢昭一の『日本の放浪芸』には、新潟の瞽女、岩手のおく浄瑠璃、山形の早物語、青森のいたこ、熊本の肥後琵琶を採録した1枚がある。vicg-60234</ref>。また、[[浪曲]]の世界にも、[[浪花亭綾太郎]]以前の昔から現在に至るまで(一例:[[大利根勝子]])複数浪曲師が存在し、音楽分野では現在も様々なジャンルで活躍している。
 
=== 当道座 ===