「堤義明」の版間の差分

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=== 40億円の事業を資金0でなしとげる ===
1976年当時、[[横浜市]]の市長だった[[飛鳥田一雄]][[横浜スタジアム|市民球場]]を計画し、当時[[川崎球場]]が本拠地だった[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]に市民球場に移ってもらう構想があったが、40億円という予算捻出に苦慮していた。それを聞いた堤義明は「[[西武建設]]に工事を一任すれば予算は一銭もいりません」と飛鳥田に進言した。通常球場指定席は1年更改が常識だが、堤は一挙に「通用期間45年(コンクリートの耐用年数による)、一席250万円で800席で20億円、テレビ会社やスポンサーで20億円」とした。800席は一か1ヶ月で売り切り、スポンサーも殺到し、逆にセレクトに頭を悩ますという始末だった。飛鳥田は横浜市民に税金投入無しで立派な球場をプレゼントできた<ref>「堤義明・男の凄さ」永川幸樹著 p94</ref>。
 
=== 激動の時代 ===