「デーン人」の版間の差分

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[[スカンジナビア半島]]から到来し、[[ユトランド半島]]へ進出した。それまでの先住民である西方系[[ゲルマン人]]の[[アングル人]]、[[サクソン人]]、[[ジュート人]]を圧倒し彼らの[[ブリテン島]]移住の誘因を作った。
 
その数世紀後、[[ヴァイキング]]として西ヨーロッパ一帯に[[海賊]]活動を始めた。[[9世紀]]には[[七王国]]時代のイングランドに侵攻し猖獗をきわめた。ウェセックス王のアルフレッド([[アルフレッド大王]])は、デーン人の戦術を学習して[[城塞]]をつらねた防衛線を築き、ねばり強く抵抗した末、878年、デーン人とのあいだに[[ウェドモーアの和議]]を結び、ブリテン島東岸の[[デーンロウ]]と称する地域を限定してデーン人の定住地として認め、886年にはロンドンを奪還した。さらに来住したデーン人たちの[[キリスト教]]への改宗にも力を注いだ<ref name="horigome_099">堀米(1979)pp.99-100</ref>
 
七王国の一つウェセックス王のアルフレッド([[アルフレッド大王]])は、デーン人の戦術を学習して[[城塞]]をつらねた防衛線を築き、ねばり強く抵抗した末、878年、デーン人とのあいだに[[ウェドモーアの和議]]を結び、ブリテン島東岸の[[デーンロウ]]と称する地域を限定して定住地として認め、886年にはロンドンを奪還した。デーンロウのデーン人の[[キリスト教]]改宗にも力を注いだ<ref name="horigome_099">堀米(1979)pp.99-100</ref>。
[[10世紀]]に[[キリスト教]]に改宗し、[[デンマーク王国]]としてデーン人を包括した統一国家を造り上げる。([[デンマークの歴史#中世]])
 
[[10世紀]]に[[ハーラル1世 (デンマーク王)|ハーラル1世]]が[[キリスト教]]に改宗し、[[デンマーク王国]]としてデーン人を包括した統一国家を造の始ま上げとなる。([[デンマークの歴史#中世]])
[[1013年]]、デンマーク王の[[スヴェン1世 (デンマーク王)|スヴェン王]]が[[イングランド王国|イングランド]]王を追い出し、自身が王となる。[[1016年]]、スヴェンの子[[クヌート1世 (イングランド王)|カヌート大王]]がイングランド王に即位。後にデンマーク王、[[ノルウェー]]王にも即位し、[[北海帝国]]を築き上げた。カヌート大王の死後、帝国は崩壊、多くのデーン人は現在のデンマークに留まり、海外へ移住したデーン人は、その地の民族に[[同化]]していった。
 
[[1013年]]、デンマーク王の[[スヴェン1世 (デンマーク王)|スヴェン王]]が[[イングランド王国|イングランド]]王を追い出し、自身が王となる。[[1016年]]、スヴェンの子[[クヌート1世 (イングランド王)|カヌート大王]]がイングランド王に即位。後にデンマーク王、[[ノルウェー]]王にも即位し、デーン人による[[北海帝国]]を築き上げた。カヌート大王の死後、帝国は崩壊、多くのデーン人は現在のデンマークに留まり、海外へ移住したデーン人は、その地の民族に[[同化]]ていった。
 
中世までのデーン人の国家は、たとえ異民族であっても、デンマーク王に従属し統率下に入ればデーン人と呼ばれ、そのような人々が一種の政治的な[[共同体]]を形作っていた。
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