「タイロン・ウッズ」の版間の差分

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{{by|2005年}}8月6日の対横浜戦([[横浜スタジアム]])で観客席の横浜ファンが出した「Money、Kaese!(金返せ)」のプラカードに奮起し、来日初の1試合3本塁打を放つ。4番打者として、本塁打王こそ逃したがチーム1位の38本塁打を放ち、2年連続の100打点と初の打率3割も記録。しかし、5月5日の対[[ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦で[[藤井秀悟]]の頭部付近への投球(死球ではない)に激怒。右頬を殴って退場処分を受け、さらに10試合出場停止という処分を課された(この2人は、後に和解している)。ウッズの不在が出場停止期間に始まった交流戦で大きく響き、中日もこの年セ・リーグ連覇を逃した。
 
{{by|2006年}}、来日当初から指摘され続けていた勝負弱さを克服。開幕当初は不振も、自己最多の47本塁打を放ち、2年ぶりの本塁打王と初の[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]を獲得し、リーグ優勝に大きく貢献(球団としては、本塁打王は{{by|1996年}}の[[山崎武司]]、打点王は{{by|1994年}}の[[大豊泰昭]]以来で、両タイトルとも本拠地が[[ナゴヤドーム]]に移転後初)。特に、古巣の横浜相手には特に強く、打率.372、本塁打12本を記録。マジック1で迎えた10月10日の対巨人戦では46号先制3ラン、47号満塁本塁打(2試合連続)を放ち7打点を挙げ、[[西沢道夫]]の持つシーズン本塁打球団記録(46本)を更新し優勝を決めた。144打点も球団新記録でプロ野球史上歴代6位の記録。日本シリーズでも全試合4番を務め、打率は.267(15打数4安打)と悪くはなかったものの本塁打0、打点は0で、日本一にはなれなかった。
 
{{by|2007年}}、交流戦前まで打率.320など三冠王も狙えるペースだったが、持病の腰痛の影響もあり、打率は徐々に下降。8月16日の対[[阪神タイガース|阪神]]戦で、[[下柳剛]]から来日通算200号本塁打を放つなど、本塁打と打点では終盤までタイトルを争ったものの、9月14日の対阪神戦で[[藤川球児]]から勝ち越し安打を放って以降は18試合で本塁打1、打点7と精彩を欠き、無冠に終わった。巨人、阪神との三つ巴の優勝争いの時期、ウッズの不振は中日がセ・リーグ連覇を逃した一因にも挙げられた。しかし、この年よりセリーグに導入された[[2007年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では、1stステージと2ndステージ合わせて3本塁打を放つなど、勝利に結びつく活躍を何度も見せ、球団史上初の2年連続日本シリーズ進出に大きく貢献した。日本シリーズでは日本一になった第5戦で、この試合の唯一の得点となる[[平田良介]]の犠牲フライでホームを踏み、最後の打者となった[[小谷野栄一]]の二塁ゴロでウイニングボールを掴んだ。