「スペインかぜ」の版間の差分

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感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は約18億人~20億人であると推定されているため、全人類の約3割近くがスペインかぜに感染したことになる。[[日本]]では、当時の人口5,500万人に対し39万人(当時の[[内務省 (日本)|内務省]]は39万人と発表したが、最新の研究では48万人に達していたと推定されている)が死亡、米国でも50万人が死亡した。これらの数値は[[感染症]]のみならず[[戦争]]や[[災害]]などすべての[[ヒト]]の死因の中でも、もっとも多くのヒトを短期間で死に至らしめた記録的なものである<ref>第一次世界大戦:戦死者900万、非戦闘員死者1,000万、負傷者2,200万人。第二次世界大戦:戦死者1,500万、軍人負傷者2,500万、一般市民の死者数3,800万。控えめな推定。</ref>(ただし、第一次大戦の戦死者のうち、戦闘活動による死亡以外が多く占め、スペインかぜによる戦病死も含まれていることから、スペインかぜの死亡と第一次大戦の戦死者には重複がある)。
 
流行の経緯としては、第1波は1918年3月に米国デトロイトやサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり<ref name="isl"/>、米軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5~65〜6月に[[ヨーロッパ]]で流行した。第2波は、1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、[[病原性]]がさらに強まり、重症な[[合併症]]を起こし死者が急増した。第3波は、1919年春から秋にかけて第2波と同じく世界的に流行した(日本ではこの第3波が一番被害が大きかった)。1920年に死去した[[マックス・ヴェーバー]]も、スペインかぜによるとされる。また、最初に医療従事者の感染が多く、医療体制が崩壊してしまったため被害が拡大した。この経緯を教訓とし、2009年の新型インフルエンザによるパンデミックの際にはワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。
 
世界規模で猛威を振るった病気であり、世界各国の膨大な数の死亡者の中には何らかの形で今日に名を残す数多くの著名人が含まれている。日本も例外ではなく、スペインかぜで死亡した有名な人物としては以下の人物が挙げられる。
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*[[島村抱月]](劇作家)
*[[大山捨松]]([[西郷隆盛]]の従兄弟である[[大山巌]]の夫人で女子教育者)
*[[西郷寅太郎]](西郷隆盛の息子で軍人)
*[[折田彦市]](元[[第三高等学校 (旧制)|第三高等学校]](現在の[[京都大学]]前身)校長)
*[[野口シカ]]([[野口英世]]の母)