「シド・ヴィシャス」の版間の差分

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カモン・エヴリバディ
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アメリカツアー初公演のサンアントニオのライブでは集まった2200人強のメキシコ人が、セックス・ピストルズに対する敵意をむき出しにし、ステージに詰め掛けた為、シドはライブの途中でベースを斧のように構えて客席を威圧し、何度もベースを振り回し、時には掴みかかる客に殴りかかっていきステージ防衛をしなければならなかった。またテキサス州ダラスにおけるライブでは、ピストルズのライブにエキサイトし、ステージに上がってきた客の肩口を愛用のベースで殴るという事件も起こした。
 
ロットンはシド・ヴィシャスにおけるセックス・ピストルズへの音楽的な貢献はなかったと語っている。売り上げで言えば、シドのシングル「Something else」は、発売後2週間で38万2000枚のリリースを記録している。この記録はセックス・ピストルズの楽曲のうち最大のヒット・ソングであった「God save the queen」を10万枚以上も上回り、事実上のセックス・ピストルズ関連楽曲ではNO.1セールスとなっている。ちなみにロットン脱退後にセックス・ピストルズ名義でリリースされた「MY WAY」は、指名手配犯の[[ロナルド・ビッグズ]]との「No one was innocent」とカップリングでのリリースであったが、フロントマンが指名手配犯だったこともあって公共の放送は見合わされた。最高位7位のチャートを記録し、セックス・ピストルズの「Pretty vacant」と同等の成績を残した。これにより「C'mon everybody[[カモン・エヴリバディ]]」の製作が決まった。
なお、「MY WAYマイ・ウェイ」の一節には脱退したロットンを馬鹿にする内容の歌詞がシドにより盛り込まれている。
 
===ファッション===
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*My Way(1978年)
*Something Else(1979年)
*[[カモン・エヴリバディ|C'mon Everybody(1979Everybody]](1979年)
 
=== アルバム ===