「カトリック教会」の版間の差分

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また、狭義の「カトリック教会」には、ローマ教皇を中心としながらも伝統的な独自の東方典礼を維持する[[東方典礼カトリック教会]]の諸教会があるほか、冒頭文にもあるように「カトリック」を自称・自認する教派は他にも[[復古カトリック教会]]、[[ポーランド・カトリック教会]]、[[リベラル・カトリック教会]]、[[中国天主教愛国会]]など[[独立カトリック教会]]の諸教会があり、これらと区別する意味で'''ローマ・カトリック教会'''とも呼ばれる。{{Main|キリスト教諸教派の一覧#カトリック}}
東方典礼カトリック教会や復古カトリック教会などは日本国内には実質的に存在せず、また日本では[[カトリック中央協議会]]のほか各[[教区|司教区]]が「カトリック○○司教区」(あるいは「カトリック○○教区」)という法人名となっているので、一般的には「ローマ」を付けて「ローマ・カトリック教会」と呼ぶ必要はなく、日本のカトリック信者もただ単に「カトリック教会」と呼ぶことがほとんどである。しかし広義の「カトリック」であると自称する他のキリスト教の教派と区別する場合や、[[正教会]]・[[聖公会]]・[[プロテスタント]]など他の教派の信者・教徒からは、「ローマ・カトリック教会」と呼ばれることも多い。
 
== カトリック教会のメッセージ<ref>{{Cite news|title=希望の理由|url=http://opusdei.org/ja-jp/article/kibouno-riyuu/|accessdate=2018-04-06|language=ja}}</ref> ==
カトリック教会のメッセージはイエス・キリストの宣教によって成り立っている。神から人類に対する啓示が[[イエス・キリスト]]によって満たされ完結したことを教えている。「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法のもとに生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を購い出して、わたしたちを神の子となさるためでした」(ガラテヤ4,4-5)。イエスは神がいかなるお方であるかをまったく新し方法で、それまでのイスラエル人の理解をより深く掘り下げて示したのである。イエスは神を自分の父として示した。それは、「わたしと父は一つである」とまで言える唯一で特異な関係なのである。使徒たちの教えに基づき、教会は、イエス・キリストは神の御子であり、父なる神と同じ本性を有する神であると宣言する。
 
 キリスト教のメッセージはイエス・キリストが宣教した教えを伝えている。それは、「神の国」の教えである(マルコ1,15)。イエスはこの象徴的な表現を豊かな内容で満たした。「神の国」は、人間の歴史の中に、そして歴史の終りにおいても神が現存なさることを教えている。また、「神の国」は、神が人間と一つになってくださることも教えている。イエスは、自らが人々と共にいることによって、また、悪魔の力と悪から人間を解放することによって、すでに神の国が始まっていることを宣言した(マタイ12,28)。
 
 イエス・キリストのこの現存と行動は、聖霊の力により教会の中で引き継がれている。教会は、人間の歴史において、神の国の芽生えであり種子というべきもので、歴史の終焉におけるキリストの再臨をもって栄光ある完成を迎えるのである。その完成を待つ間、人は教会において洗礼を受け、神との新たな関係を獲得するのである。つまり、イエス・キリストと一致し、神との父子関係を獲得する。この関係は、死後の最終的な復活によって完成されるのである。キリストは現実に教会に現存している。また、7つの秘跡(特に、ミサにおいて)現存している。また、神の恩恵の効果的なしるしである秘跡において働き続けている。キリスト者が愛徳に生きるならば、その行動を通して全ての人に対する神の愛が明らかにされる。以上全てがキリストのメッセージに含まれているものである。
 
<blockquote>「人をキリスト信者とするのは、倫理的な選択や高邁な思想ではなく、ある出来事との出会い、ある人格との出会いです。この出会いが、人生に新しい展望と決定的な方向付けを与えるからです。ヨハネによる福音書はこの出来事を次のことばで述べています。『神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。ひとり子を信じる者が(・・・)永遠のいのちを得るためである』」(ヨハネ3,16)」」(教皇[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16]]世回勅『神は愛』1)</blockquote>
 
== 教説・教義 ==