「呉服商」の版間の差分

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1990年代の縮小期を呉服商から販売業に転換することで乗り切った京都きものプラザは、些末な傷、織りムラ、目立たない汚れがある「B反」飛ばれる反物を安く売り、これによって「呉服は高い」という常識を覆して人気を集めた。年間約220回の販売催事となった「大B反市」は当時の日本字がよく知る催事であり、顧客に販売員が付いて回る「つきそい営業」、B反と正規品のセットで販売を行う客単価向上戦略などがヒットし、2004年7月期には売上高約26億円を計上。しかし、呉服のオンライン販売の拡大、[[東レ]]が開発した化織原料による廉価製品の登場、着付けの知識が不要で簡単に着られるセパレート着物など、安さで京都きものプラザに勝る製品が増え、手軽さで上回る流通手段が見られるようになったため、以後低迷。2015年4月に事業を停止し、同年6月に[[破産手続]]開始決定を受けた<ref name="the3rd"/>。
 
京都きものプラザを始めとして、2000年に入ってから2016年までの間に、1216社の呉服関連企業が経営破綻しており、最も多かった2000年では1年間で114社が倒産。連日倒産のニュースが駆け巡る中で、[[京都市]][[室町通]]界隈では「[[NTTドコモ]]」という「次に潰れる呉服問屋」のイニシャルに「今や呉服商はどこ危ない」を加えた隠語が誕生する始末であった<ref name="the3rd">藤森徹『あの会社はこうして潰れた』日本経済新聞出版社、200172017年4月10日初版、15-20頁、 ISBN 9784532263379。</ref>。
 
市場縮小の一因は、洋装の浸透にあるが、それに加えて[[1970年代]]以降の呉服商が、高価格製品の販売に注力したことが消費者の着物離れを加速させたという見方もある<ref>{{Cite journal|和書|title=着物の復活は本物か|author=足立敏樹|journal=繊維トレンド|publisher=東レ経営研究所|year=2015|issue=7・8月|page=60|quote=着物業界の衰退は、ʼ70 年代後半に入って洋装ライフスタイルの一般化が急速に進展し着物需要が 減少する中で、業界は販売数量の下落分をカバーするために、晴れ着や付加価値の高い製品に偏っ て開発し製品単価を上げる戦略をとった。そのため、最初に日常生活で着用する街着としてのカジュ アルな着物が姿を消し、市場にはフォーマルな着物(晴れ着)ばかりが増えていった。|url=http://www.tbr.co.jp/pdf/trend/tre_113_02.pdf|format=PDF|accessdate=2015年12月27日}}</ref>。呉服商は、[[売上総利益#売上総利益率|売上総利益率]]は高いが、[[人件費率]]、[[販管費率]]も大きい<ref name="meti" />。また、[[効率性分析#資本回転率|経営資本回転率]]、[[効率性分析#資本回転率|商品回転率]]が低く<ref name="meti" />、市場の規模縮小などもあって、市場の流通在庫は2015年の時点で、およそ3-4兆円という巨額と推定されている<ref>{{Cite journal|和書|title=着物の復活は本物か|author=足立敏樹|journal=繊維トレンド|publisher=東レ経営研究所|year=2015|issue=7・8月|page=61|quote=35 年余りにわたる長期的な着物市場の凋落傾向の中で、多くの倒産・廃業企業が残した流出品を 含めた着物の流通在庫の規模は約3~4兆円といわ れている。これは 10 年間新規生産しなくても着物 の需要を満たせる規模である。また眠れるタンス の中の着物資産も膨大にある。|url=http://www.tbr.co.jp/pdf/trend/tre_113_02.pdf|format=PDF|accessdate=2015年12月27日}}</ref>。