「海賊とよばれた男」の版間の差分

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== あらすじ ==
;序章
1945年(昭和20年)8月15日。世界中を敵に回した、日本の戦争は終わった。東京をはじめとした主要都市は徹底的に爆撃されて瓦礫の山となり、海外資産のすべてを失って莫大な賠償金が課せられようとしていた。これから日本はどうなっていくのだろうかと、全員日本国民の誰もが途方に暮れて失意に包まれているとき、毅然と店員を集めて話男がでに老境に入っていた国岡商店の'''国岡鐡造'''店主であは、わずかに残った社員を前に訓示を行う。三千年の歴史を誇る日本人としての誇りを失わぬよう檄を飛ばし、さらに「ひとりの[[解雇|馘首]]もならん!」と、社員を一人も解雇せずに、日本と国岡商店の再建に挑もうとする。
 
;第一章 朱夏(昭和20〜22年)
わずかに残った店員を前に、鐡造は「愚痴をやめよ、愚痴は泣きごとである。亡国の声である」「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからと言って、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」と訓示を述べた。だが、失望から立ち直り武者震いする店員たちに、売るべき商品「石油」がそもそもないという現実が襲いかかる。「店主、このままでは、国岡商店は潰れます。涙を呑んで人員整理を」という進言に、鐡造は「馘首はならん!」と解雇を断固拒否する。戦後、住処も食糧事情もままならない情勢下で、日本の復興に向かって闘う男たちの物語が始まった。
売るべき商品「石油」がそもそもないという現実に直面した国岡商店は、社員一丸となって新しい仕事を求め、様々な業種に取り組む。鐡造は愛蔵の美術品を手放してでも、金銭を工面した。やがて海軍からの人材を中心にラジオ修理を手掛け、全国の店舗の営業を再開する。しかし、戦前から国内の同業他社と対立し、石油配給統制会社(石統)からも締め出されていた。
 
その石統は、二本への石油輸入再開の条件としてGHQから出された、旧海軍の燃料タンクから燃料を浚うという、非常に過酷な仕事を国岡商店にさせる。その後も国岡商店は、販売業者指定案から除外されそうになるが、国岡商店の社員たちが必死になって働く姿が、特にGHQに強い印象を与えたことから、除外は撤回される。販売業者指定を受けた国岡商店は、ようやく石油販売業者として再出発するのだった。
 
;第二章 青春(明治18〜昭和20年)
[[神戸高商]]在学中、国岡鐡造は[[石油]]の将来性に目を付け、また消費者の利益のために、[[問屋]]を介さず広範囲に直営店を展開する「大地域小売業」の夢を持つ。大財閥[[鈴木商店]]を蹴って、神戸の酒井商店に[[丁稚]]として就職した鐡造は、ここで店主の心構えを学び、また[[日本統治時代の台湾|台湾]]での商談を成功させたところで、神戸高商時代に知り合った資産家:日田重太郎から多額の資金援助を得て、郷里に近い[[門司]]に「国岡商店」として独立する。
 
国岡商店は、石油卸売業者として漁船の燃料を扱うと好評を得る。さらなる販路拡大のため、下関と門司での住み分けを図る協定をかいくぐり、下関側の漁師に海上で燃料を売るため、従業員とともに[[伝馬船]]で海に漕ぎ出す姿は「海賊」と呼ばれた。さらには寒冷な[[満州国|満州]]でも使用可能な、良質な機械油を[[南満州鉄道]]に売り込むことにも成功する。こうして海外にも販路を拡大するが、一方で、同業他社からの反発も強く、さらに日本の石油政策の統制化を受けて、国岡商店は日本国内での営業が困難になる。念願のタンカー日章丸を就航させて程なく、米国の対日石油禁輸を発端に、[[太平洋戦争|大東亜戦争]]が開戦する。鐡造も、日本のためという一貫した姿勢を貫くが、大局の前になすすべもなく、敗戦を迎える。
 
;第三章 白秋(昭和22年〜昭和28年)
国岡商店は次々と苦難を乗り越え、石油タンクの所有、そして二代目のタンカー[[日章丸 (タンカー・2代)|日章丸]]建造を果たし、外国資本によらない「民族系」[[石油元売]]として順調に事業を拡大していた。しかし欧米資本の7つの[[国際石油資本|石油メジャー]]、通称「セブンシスターズ」の妨害により、北米からの石油輸入が困難になった。
 
ある日、鐡造は同じ福岡出身の実業家[[石橋正二郎]]の紹介で、米国籍のイラン人:ホスロブシャヒと知り合う。昭和26年(1951年)、イランは石油の国営化を宣言し[[アーバーダーン危機|国際関係が不安定]]になっていたが、鐡造は英国との契約を反故にした経緯を快く思っておらず、イランからの石油輸入を断る。しかし、イランが長年にわたり英国から搾取されている実態を知ると、海外渡航や保険の問題解決、そして[[モハンマド・モサッデク|モサデク首相]]らとの交渉をまとめ上げさせ、ついに日章丸の派遣を決心する。昭和28年(1953年)、日章丸は極秘裏にアバダン港に到着し、イラン人の大歓迎を受ける。復路では[[東洋艦隊 (イギリス)|英国東洋艦隊]]の海上封鎖を掻い潜る。この「[[日章丸事件]]」は、石油自由貿易や日イラン友好の嚆矢として期待されたが、モサデクの失脚によりわずか3年でイランとの貿易は終わった。
 
;第四章 玄冬(昭和28年~昭和49年)
鐡造は石油メジャーと対決するためには、産油国から直接輸入し、自ら精製する必要を痛感する。[[バンク・オブ・アメリカ]]からの巨額の融資を受けることに成功すると、アメリカ人の懐の広さに感じ入る。そして、昭和32年(1957年)、[[徳山]]に、自らの理念を込めた製油所を想定以上の速さで建設させた。
 
老齢になっても鐡造の反骨精神は、なおも健在であり、消費者や日本の利益にならないと考える生産調整や石油業法には強硬に反対した。やがて恩人である日田との死別を経て、鐡造はついに引退を決意する。ある時、やむを得ず離別した先妻:ユキの消息を知り、若かりし頃に思いを馳せるが、すぐその感情を打ち消す。
 
;終章
晩年、敗戦直後に手放した美術品を買い戻していた鐡造は、昭和56年(1981年)にようやく[[仙がい義梵|仙厓]]の「双鶴画賛」を買い戻し、意味を悟る。同年、大勢の家族と「双鶴画賛」に看取られ、95歳で生涯を終える。
 
== 登場人物 ==
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* 国岡孝義 - 弟。名前のみ登場。
* 国岡正明 - 末弟。鐵造より十五年下。モデルは[[出光計助]]出光興産二代目社長。満鉄に入社し、戦後国岡商店に入店、鐡造を支える。
* 国岡ユキ - 前妻。旧姓:春日。裕福な[[庄屋]]の娘で、まだ貧しかったころの国岡商店に嫁ぎ、鐵造を愛の活力の源となる。ていたがやむを得かし子に恵まれい事情でかったことから、自ら切り申し。その後は再婚せず、働きながら密かに国岡商店の発展を見守り続けていた。
* 国岡多津子 - 後妻。旧姓:山内。鐵造との間に一男四女を儲ける。
* 国岡昭一 - 国岡鐵造の息子長男で、長じて米国に留学する。モデルは[[出光昭介]]出光興産五代目社長。
 
=== 重太郎とその家族 ===
* 日田重太郎 - [[淡路島]]出身の資産家で、国岡鐵造の[[エンジェル投資家|恩人]]。義弟の家で出会った高商時代の鐡造の考えに興味を持ち、重一の家庭教師を任せる。その後自らの家を売って会社設立の為の資金を「返済不要」の条件で援助した。
* 日田八重 - 日田重太郎の妻。戦後に亡くなり、国岡商店の発展を見ることは叶わなかった。
* 日田重一 - 重太郎の長男。鐡造を家庭教師に付けられる。
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* [[三木武夫]] - 通商産業大臣。後に首相となる。(実名のまま登場)
* 柳井恒夫 - 国際弁護士として法律面で鐵造を支える元外務官僚。(小説では触れられていないが、外務省条約局長などを歴任している。実名のまま登場)
* 宮部 - 上海の零式艦上戦闘機の航空兵。明言されていないが、[[永遠の0]]の主人公と姓、経歴が一致する
 
== 書誌情報 ==
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*[[出光計助]]
*[[木本正次]]:出光佐三を題材とした小説『小説出光佐三〜燃える男の肖像』を執筆
*[[国際石油資本#セブン・シスターズ]]
*[[日章丸]]
*[[日章丸事件]]
*[[バンク・オブ・アメリカ]]
*[[三木武夫]]
*[[モハンマド・モサッデク]]
 
== 外部リンク ==
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{{山崎貴監督作品}}
 
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{{Manga-stub}}
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