「財光寺」の版間の差分

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== 概要 ==
市の中部にあり、北は塩見川を境に[[富高|富高地域]]、[[日知屋|日知屋地域]]、[[新町 (日向市)|新町地域]]に隣接する。南は赤岩川を境に[[平岩|平岩地域]]に、西は比良山を境に[[塩見 (日向市)|塩見]]に接している。
 
東は[[日向灘]]に面した小倉ヶ浜が広がっており、また[[日豊海岸国定公園]]の一部に指定されている。南北に[[国道10号]]、[[日豊本線]]、[[宮崎県道226号土々呂日向線]]、[[東九州自動車道]]が通る。
 
江戸期は[[日向国]][[臼杵郡]]'''財光寺村'''で、はじめ[[延岡藩]]領であった。
[[1692年]]([[元禄]]5年)からは、[[山陰・坪谷村一揆]]の影響で[[天領]]となり[[西国筋郡代]](日田代官)支配地となる。
 
塩見川に架かる塩見橋は、日向国以南の諸大名により利用されていたが、1707年([[宝永]]4年)の[[宝永地震|大地震]]と津波により流され、約120年後に架橋されるまで渡し舟が用いられた。
 
[[1868年]]([[慶応]]4年)、[[富高県]]を経て、[[日田県]]に所属し、[[1871年]]([[明治]]4年)日向国内の日田県管轄下と[[豊後国]]内の延岡藩領との交換により延岡藩に属する。
同年延岡県、[[美々津県]]を経て、[[1873年]](明治6年)[[宮崎県]]、[[1876年]](明治9年)[[鹿児島県]]、[[1883年]](明治16年)からは宮崎県に所属する。
[[1884年]](明治17年)からは[[東臼杵郡]]に属する。
 
[[1889年]](明治22年)富高村の[[大字]]となり、[[1921年]](大正10年)富島町、[[1951年]](昭和26年)から日向市の大字となる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflistReflist}}
 
== 参考文献 ==
== 外部リンク ==
* [http://www.city.hyuga.miyazaki.jp/index.php 日向市公式ページ]
 
 
{{日向市の地区名}}
 
{{Pref-stub|pref=宮崎県}}
 
{{デフォルトソート:さいこうし}}
[[Category:日向市の地理]]