「ヴァーサ (戦列艦)」の版間の差分

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[[グスタフ2世アドルフ_(スウェーデン王)|グスタフ2世アドルフ]]の命によって[[1626年]]起工。もともと砲甲板は一層の予定であったが、建造途中で二層に増やされるなど無理な構造で、さらに重武装だったため極端にトップヘビーな艦になってしまった。[[1628年]][[8月10日]]、波が穏やかな日に[[処女航海|初航海]]に出たが、[[マスト]]に帆を張り 1,300 m ほど帆走した地点で横風を受け、[[復原性]]の低さが災いしてそのまま横転[[沈没]]した。すぐに引き上げが試みられ、大砲や貴重品は[[1664年]]までにほぼ回収できたが、船体の回収にはことごとく失敗し、海底に沈んだ状態で放置された。
 
1950年代に入って、バルト海は水温や酸素濃度が低く、[[フナクイムシ]]が生息していないことから、ヴァーサの船体が朽ちることなく復元可能な状態で沈んでいる可能性が持ち上がった。アマチュア[[考古学者]]{{仮リンク|アンデースシュ・フランツェーン({{Sv|en|Anders Franzén}}の尽力もあり、ヴァーサは沈没から333年経った[[1961年]]、ついに引き上げられた。長期にわたる復元作業の後、[[1988年]][[12月]]から[[ヴァーサ博物館]]にて展示中。船体や調度などが非常に良く原形を残しており、当時の戦列艦の姿、建造方法、設備などを知る貴重な資料を提供している。
 
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