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=== 1960年代 ===
当初は「オートゲレンデ」と称して、オートバイ愛好者向けに本格的なモトクロスコースを含むバイク用のダートコースを設置し、様々なタイムトライアルなどが可能な施設であった<ref>開園間もない1961年11月に公開された[[日活]]映画『カミナリお転婆娘』([[清水まゆみ]]主演)に、その当時のモトクロス場が舞台として登場している。</ref>。構想が明らかになると[[カミナリ族]]向けの施設「カミナリランド」など批判的に報道され、[[警視庁]][[交通部]]が「カミナリ族の養成所みたいなものだと思うが、事故でも起こったらどうするのかが心配だ」「非常に好ましくない計画」で「近く申し入れをする」とも報じられた<ref name="ynp610711"/>。運営会社は「オートバイ・ファンに正しい技術をくんでもらおうというもので、指導もしっかりやる。ただ取り締まりを叫ぶだけでは彼らの気持ちを満たすことはできない」と述べた<ref name="ynp610711">1961年7月11日付[[読売新聞]]。実際に警視庁からの申し入れが行われたかどうかは不明。</ref><ref>モビリティランドウェブサイトの「モビリティランド50年の歩み」にも、「カミナリ族に走る場を提供し、正しい運転マナーと技術を学ばせる」ことでカミナリ族問題を解決することが開設の目的であったと記載されている。</ref>。開園後の[[1962年]]9月16日に来園者の男性の乗ったオートバイが転倒して死亡する事故が起きた際は、「カミナリ天国」初の死者」なる見出しで報じられた<ref>1962年9月17日付読売新聞</ref>。
 
1962年4月に第二期工事が完了し、ホンダエンジンを搭載した[[ゴーカート]]や[[ミニバイク]]が遊具として設置されて「自動車遊園地」としても営業を始める<ref name="ml">[http://www.mobilityland.co.jp/sou50/ayumi/ モビリティランド50年の歩み 第一章]モビリティランドウェブサイト</ref>。ミニオートバイのZ100は好評を博して「[[ホンダ・モンキー]]」として商品化されるなど、当初のバイク主体のスポーツ施設からファミリー向けの遊園地へ移行した。[[1964年]]に学校団体へ向けた実物のエンジンを分解して組み立て動かす「エンジン教室」の催しを始めた<ref name="ml"/><ref name="20120713fuji">【モータースポーツとともに モビリティランドの50年】(8-2) 2012.07.13 FujiSankei Business i. 18頁 文化 i文2 写有 (全1,322字) </ref>。「エンジン教室」はのちに鈴鹿サーキットでも開催され、工場である鈴鹿製作所の見学と組み合わせた修学旅行プログラムになった<ref name="20120713fuji"/>。