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Tokumas (会話 | 投稿記録)
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天皇がいつどのように成立したかは、現在の[[学界]]では[[学説]]が多様に分かれている。ただし、天皇の前身をなす[[大王]]が遅くとも[[5世紀]]にはのちの[[畿内]]の地の政権の[[首長]]として存在したこと、その後、[[7世紀]]にかけて勢力圏を拡大し、はじめは[[毛野]]・[[吉備]]・[[出雲]]・[[筑紫]]その他の各地政権と並立する一地方政権であったのが、やがて7世紀末から[[8世紀]]初頭にかけ律令体制を整えるまでのある時期に、他の諸政権との連合体から広い範囲にわたる統一政権に成長した、といったことは推認されている。『古事記』『日本書紀』が伝える物語は、歴史的事実や慣行習俗をいくらか反映しているにせよ、その基本構想は大王政権が君主の地位を得た後に、その支配権を正当化するため造作され、[[記紀]]成立まで潤色が重ねられたこと、神武天皇が[[日向]]から[[大和]]に入り、その地の支配者を破って第一代の帝位についたという[[説話]]もまた、「[[神代]]」の延長線上に造られた[[物語]]であること、[[綏靖|綏靖天皇]]から[[開化|開化天皇]]までの[[欠史八代|八代]]は、その[[名号]]・[[相続]]方式などから実在の人物と認めがたいこと、以上は「現在の[[学界]]でほぼ共通の[[認識]]」とされている<ref name=kokushi/>。
[[ファイル:Emperor Jimmu.jpg|thumb|200px|right|[[神武天皇]][[版画]]。[[月岡芳年]]作]]
[[File:Family tree of the imperial house of japan.png|thumb|200px|right|天皇の系図]]また、天皇、[[皇族]]とは、チュバシ、スバルなどのトルコ系民族、[[東湖]]の一種であり、天皇の出自が[[鮮卑]]であるならば、皇族は日本とは何の関係もない勢力ということになる。つまり、日本人とは帝(ミカド)であり、神々である。つまり、[[仁徳天皇]]など大和の地に根ざした[[匈奴]]の勢力が日本人であって、日本人とは[[天帝]]である。[[万世一系]]とは満州族の風習である。つまり、天皇勢力とは、[[倭]]族、句族、と同義であり、渡来人の[[ウタリ]]、後発の、縄文人であると言える。[[弥生人]]とは縄文人より先に日本に根差していた、漢人のことであり、[[天帝]]の系譜である。[[大和]]と[[越国]]の文化を混同してはいけない。[[山背国]]は大和と越国の混同が見られる。越人や倭族は、神でも何でもない。大和の勢力[[匈奴]]は、[[国造]]であって、日本列島という島国を作り、天空を歩いたと伝えられる。越人のように船を作って渡ってきた[[国渡]]ではない。つまり、天と一体になり、国造を纏めていた天帝が日本にいたと考えられる。このような神話や神通力を信じられず、形だけの祭祀・儀式に頼り、同じことを繰り返すのが、百済人及び、トルコ系朝鮮人の天皇家の特徴で、中国の歴史書に記されている[[白狄]]のことである。天帝とは、[[華夏族]]、[[薰鬻]]である。
 
=== 神代と天皇の発祥 ===