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'''サヴォイア公国'''または'''サヴォワ公国'''(サヴォイアこうこく、[[イタリア語|伊]]:Ducato di Savoia, [[フランス語|仏]]:Duché de Savoie)は、[[サルデーニャ王国]]の前身となった[[公国]](公爵領)である。[[1416年]]、[[サヴォイア家]]の[[サヴォイア伯]][[フェリクス5世_(対立教皇)|アメデーオ8世]]が、[[神聖ローマ皇帝|皇帝]][[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]から公爵の位を与えられて成立した。
 
現在の[[イタリア]]北西部(現[[ヴァッレ・ダオスタ州]]、[[ピエモンテ州]])と[[フランス]]東部[[サヴォワ]]地方や現[[アルプ=マリティーム県]]、[[ジュネーヴ]](現[[スイス]])も含んだ。首都は[[サヴォイア伯国|サヴォイア伯爵領]]の頃から[[シャンベリ]](現フランス)であったが、[[1563年]]に[[トリノ]]に遷都された。
 
[[1718年]]に締結された[[ロンドン条約 (1718年)|ロンドン条約]]の結果、[[1720年]]に[[サヴォイア公]][[ヴィットーリオ・アメデーオ2世]]は、[[シチリア島]]([[シチリア王国]])を手放す代わりに、[[ハプスブルク家]]の所領だった[[サルデーニャ島]]([[サルデーニャ王国]]<ref>サルデーニャ島は、中世前期より長らく王国として存続してきたが、その王位はつねに皇帝の兼ねるところであり、このときは皇帝の位を世襲するハプスブルク家の所領となっていた。</ref>)を獲得した。一方、サヴォイア公爵領も引き続き[[イタリア統一]]により[[イタリア王国]]の一部となって解消されるまで存続した。
 
== 関連項目 ==
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{{イタリアに存在した国}}
 
 
{{DEFAULTSORT:さうおいあこうこく}}
[[Category:サヴォイア公国|*]]