「大相撲」の版間の差分

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# がっぷりと四つに組んだ[[力士]]同士の力が拮抗して、なかなか決着がつかない相撲の取組。[[大相撲中継|大相撲実況中継]]では、おおよそ1分を超える取り組みで用いる。おおよそ4分を超えると「[[水入り]]」になる場合がある。
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[[日本相撲協会]]が主催する'''大相撲'''(おおずもう)は、[[日本]]国内外における[[相撲]][[興行]]のなかで最も有名な競技興行である。[[東京]]での開催場所は'''[[両国国技館|国技館]]'''である(詳しくは[[両国国技館|国技館]]、[[国技#日本の国技]]を参照)。<!--相撲の歴史は非常に長く、[[皇室]]との関わりも深いと考えられている。:大相撲ではなく相撲のことであれば、ここでは不必要-->出場できるのは[[男性]]に限られる(見た目が男性である[[ゲイ]]や[[トランスジェンダー]]、あるいは[[半陰陽]]に関する規定は無い)。
 
[[ファイル:Kunisada Sumo Triptychon c1860s.jpg|thumb|400px|[[相撲絵]]([[歌川国貞]]、1860年代)]]
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江戸の他にも、この時期には京都や大坂に相撲の集団ができた。当初は[[朝廷]]の権威、大商人の財力によって看板力士を多く抱えた京都、大坂相撲が江戸相撲をしのぐ繁栄を見せた。興行における力士の一覧と序列を定めた[[番付]]も、この頃から、相撲場への掲示用の板番付だけでなく、市中に広めるための木版刷りの形式が始まった。現存する最古の木版刷りの番付は、江戸では[[1757年]]のものであるが、京都や大坂では、それよりも古いものが残されている。<!--各地の相撲集団に所属する力士たちは薄給で酷使され、その実態は男の売春業だったとする説もある([[日下公人]]「あと三年で、世界は江戸になる」ビジネス社、p.74)。 この人は研究者ではないでしょう-->
 
しかし江戸相撲は、[[1789年]]11月、司家の吉田追風から[[谷風梶之助_(2代)|二代目・谷風梶之助]]、[[小野川喜三郎]]への[[横綱]]免許を実現。さらに[[征夷大将軍]][[徳川家斉]]観戦の[[1791年]]上覧相撲を成功させる<ref>*[http://ci.nii.ac.jp/naid/110001919260/ 「寛政の上覧相撲」(1791年)の開催経緯について : 19代目吉田善左衛門の登用をめぐって]</ref>。[[雷電爲右エ門|雷電爲右衞門]]の登場もあって、この頃から江戸相撲が大いに盛り上がった。やがて、「江戸で土俵をつとめてこそ本当の力士」という風潮が生まれた。
</ref>。[[雷電爲右エ門|雷電爲右衞門]]の登場もあって、この頃から江戸相撲が大いに盛り上がった。やがて、「江戸で土俵をつとめてこそ本当の力士」という風潮が生まれた。
 
各団体間の往来は比較的自由であり、江戸相撲が京都や大阪へ出向いての合併興行(大場所)も恒例としてほぼ毎年開催された。力量も三者でそれほどの差はなく、この均衡が崩れ始めるのは幕末から明治にかけてのことである。
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|1月||一月場所||初場所||[[両国国技館]]
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|3月||三月場所||春場所||[[大阪府立体育会館]]<ref group="注">2012年4月から2015年3月まで3年間の契約で、[[ボディメーカー|BB-SPORTS社]]が本体育館の[[命名権]]を取得したため、2013年から3か年の場所については「ボディメーカーコロシアム」という愛称が付随していた。その後、2015年9月からは[[エディオン]]が3年間の契約で命名権を取得したことにより、2016年からは「エディオンアリーナ大阪」に名称が変更されている。番付表は2013年3月については従来の大阪府立体育会館の表記だったが、2014年3月以降のの番付表には命名権名称が表記されている。一方、[[日本放送協会|NHK]]の中継及び報道では、宣伝・広告を禁止した[[放送法]]第83条に抵触するとの判断から、従来通り命名権を使用せず、本来の名称で表示している。</ref>・第1競技場<ref group="注">大阪府立体育会館は、第1と第2に施設が分かれており、大相撲は第1を使用、プロレス興行等は主に第2を使用する。</ref>
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|5月||五月場所||夏場所||両国国技館
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==== 出張手当 ====
出張手当は、3月場所、7月場所、11月場所の年3回、各場所ごとに次の通りの1日分支給金額を35日分<ref group="注">番付発表日から本場所初日前日までの13日間、本場所15日間、本場所千秋楽翌日から本場所千秋楽の翌日曜日までの7日間(この間は休みとなり、休み明けから巡業が始まる)の合計。</ref>支給される。
*横綱:宿泊費8,000円、日当3,000円
*大関:宿泊費7,500円、日当2,000円
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[[1958年]](昭和33年)、こうした相撲界の体質は[[国会]]で問題視され、それ以降は月給制等による力士の待遇改善の試みが進んだ。それでも、年6場所および地方巡業により一年間のほとんどを拘束される力士たちに対しては、「時給で見れば世界でもっとも可哀想なプロスポーツ選手」という声がある。[[個人事業主]]として活動する多くの他のプロスポーツ選手と、[[給与所得|給与所得者]]として活動する力士との間では労働条件を異にする部分があるため一律には比較できないものの、横綱でも他のプロスポーツ選手のトップクラスと比べると相当に安い。実際に[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]は自身の大関在位時代(1987年7月場所から1993年11月場所)の月給について「100万円くらい。僕たちは着物を着るけど、安くても一つ30万円」と証言しており、地位に見合った着物など必需品を自費で購入することを考えれば安いとする主張をしたことがある。同時に「僕の時代は、どんな幕内力士でも(懸賞は)必ずあった」とも話しており、さらに「僕も200万近く貰っていた。一番いいときに」と自身の全盛期には場所の懸賞金が1ヶ月分の給料を上回っていた事実も明かした。<ref>『解禁!暴露ナイト』2013年1月24日放送分</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/7349173/ KONISHIKI、相撲界の驚くべき金銭事情を明かす] Sports Watch 2013年01月25日11時30分</ref>この時代に及んでも尚、協会から支給される月給だけでは関取個人の生活にも不足が生じる前提が生じていたのである。[[2001年]](平成13年)に力士・年寄の給料増額が記録されたことを最後に平成29年([[2014年]]年分は2013年11月場所8日目理事会で決定)まで16年連続で給料据え置きとなっている。[[2008年]]には当時の力士会会長の朝青龍が「せめて場所入り用の交通費ぐらい何とかしてくれ」と相撲協会に賃上げを要求したが首脳陣に相手にされなかったという報告もあり、概して昨今の協会は財政状況が潤沢でない<ref>『相撲』2013年12月号57頁</ref>。ただし2015年の冬季ボーナスは「もし俺に何かあったら、(給料の底上げを)頼むぞ”」と北の湖が協会関係者に伝えていたことなどが影響し、2014年と比べて3割ほどアップしたという<ref>週刊女性2017年8月1日号</ref>。
 
一方で、税金対策や引退時の退職金制度等の表面に表れにくい部分では、他のプロスポーツより充実しているという見方もある。例えば、国技館内には力士のみならず一般の診察も受け付ける[[診療所]]があること、[[健康保険組合]]を独自に運営していること、[[厚生年金]]制度を導入していること、また税金面においては[[給与所得]]や[[退職所得]]が適用されることにより、自身の報酬を[[事業所得]]として申告する他のプロスポーツ選手には無い手厚い控除が受けられること等である。1969年3月11日には国税庁が力士等に対する課税について個別通達を行っており、これに従うことで後援会から受け取る祝儀などを含めて力士が得る有形無形の収入について適切な形で租税計算を行うことが可能となっている。<ref>[https://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/tsutatsu/kobetsu/shotoku/shinkoku/590311/01.htm 力士等に対する課税について] 国税庁</ref><ref group="注">また、幕内力士の場合は納税対策として懸賞金の一部(2014年5月以降は26,700円)が納税充当金として天引きされ、力士本人の名義で協会がプールし、納税額に不足が生じた時はここから充当されるようになっている。</ref>収入の無い幕下以下の力士であっても社会保険に加入することが可能であり、この場合は全額協会保証となる。<ref>日本相撲協会寄附行為施行細則 第85条</ref>福利厚生についてはむしろ一般企業に近いとも言える。
 
金銭面に関しては、後援者([[タニマチ]])からの祝儀が大きな収入源の一つになっている。各力士によってタニマチの大小はあるが、横綱・大関などへ有力な人物がタニマチになった場合、優勝時には1,000万円以上の祝儀が集められるという。特に[[千代の富士]]の全盛時は一晩で5,000万円集まったという。これは角界では後援者からの祝儀は給与より大きな比重を占めているという現実がある。年寄株の取得資金、部屋経営の資金、有力学生相撲選手の獲得資金等も含めて、角界はタニマチなしでは成り立たない構造となっている。
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== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連書 ==