「ロランダス・パクサス」の版間の差分

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1999年6月、[[リトアニアの首相|リトアニア首相]]に選出される。しかし、同年10月外資導入をめぐる閣内不統一で総辞職する。1999年12月、[[リトアニア自由連合 (1990-2003)|リトアニア自由連合]]に移り、代表に就任。再度ヴィリニュス市長に就任したのち、[[2000年]]10月再び[[リトアニアの首相|首相]]となり内閣を組閣する。
 
[[2002年]]、政策の不一致により自由連合を離党し、[[秩序と正義|自由民主党]]を結党。パクサスはそのして党首に就任しとなった。2002年12月に自由民主党から[[2002年リトアニア大統領選挙|大統領選挙]]に立候補、[[2003年]]1月の決選投票で現職の[[ヴァルダス・アダムクス|アダムクス]]候補を破り当選する。
 
しかし、2003年10月には、[[ロシア]]の国際犯罪組織と大統領との癒着を指摘するスキャンダルが発生起こった。2004年3月には、リトアニア憲法裁判所は、国家機密保持などについて関する大統領の行為を違憲と判断した。同年4月に[[セイマス|リトアニア議会]]が大統領弾劾を可決、成立させ、パクサス大統領辞任に追い込まれた。また、この弾劾により、パクサスは[[セイマス|国会]]議員選挙への立候補が生涯禁じられることとなった。その後なお、2011年に入り[[欧州人権裁判所]]これを違法とする判決を下ている
 
パクサスはその後も自由民主党(のちに[[秩序と正義]]と改名)の党首を務め、[[2009年]]、[[2009年欧州議会議員選挙 (リトアニア)|欧州議会議員選挙]]を経て欧州議会議員に選出された。
 
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