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== 概要 ==
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風儀に優れ、幼くして経綸大略に通ずると評され、杜乂([[杜預]]の孫)も「陳郡では[[殷浩]]と並ぶ才名の持ち主」と評した。
後に南蛮校尉、南郡太守、輔国将軍と叙任し仮節鉞を与えられた。[[339年]]、
=== 西府軍団領袖 ===
[[340年]]に
[[康帝 (東晋)|康帝]](司馬衍)に
[[344年]]、
=== 最期 ===
[[345年]]、背中の疽からにわかに発病し亡くなった。享年41。朝廷より車騎将軍を追贈され、[[諡|諡号]]は'''粛'''侯とされた。亡くなった際の官途は持節、都尉江荊司梁雍益
== 人物 ==
*東晋国内では[[書家]]としても著名であり「故史従事帖」などの作がある。草隷に優れ、当時においては[[王羲之]]と並ぶほどの人気があったという<ref>《宣和書譜》.
*桓温については若年より目を掛けており、[[明帝 (東晋)|明帝]](司馬紹)に桓温を推挙する際に「若くして武略を知るので特別な職を与えるべき」「いずれ国の艱難を救う」と評した。
== 参考資料 ==
*《[[
*《[[資治通鑑]]》巻九十七
*《[[世説新語]]》
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