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'''春日 元忠'''('''かすが もとただ'''、[[永禄]]2年([[1559年]])? - [[慶長]]13年([[1608年]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[武田氏]]、次いで[[上杉氏]]の家臣。
 
はじめ[[武田勝頼]]に仕えたが、[[1582年]]に[[織田信長]]によって[[武田氏]]が滅亡すると、[[上杉景勝]]のもとに逃れて、その家臣となった。そして景勝の下で軍師となっていた[[直江兼続]]の側近となる。以後は兼続の部下として働き、「直江氏被官の棟梁」などと称された。しかし武将としては必ずしも有能とは言えず、[[1600年]]の[[関ヶ原の戦い]]では、[[最上氏]]の[[武将]]・[[志村高治光安]]の前に[[長谷堂城の戦い]]で無様な大敗を喫するなどしている。
 
1608年に死去した。