「内田康夫」の版間の差分

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| spouse = [[早坂真紀]]
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'''内田 康夫'''(うちだ やすお、[[1934年]][[11月15日]] - [[2018年]][[3月13日]]<ref name="mainichi_20180318" />)は、日本の[[推理作家]]。[[西村京太郎]]、[[山村美紗]]とともに、旅情ミステリー作家の代表的人物として知られる。代表作(シリーズ)に『'''[[浅見光彦]]'''[[テレビドラマ]]版は[[浅見光彦シリーズ]]参照)『'''[[岡部和雄|岡部警部]]'''(テレビドラマ版は[[岡部警部シリーズ]]参照)『'''[[竹村岩男]]'''(テレビドラマ版は[[信濃のコロンボ]]参照)など。
 
特に『[[浅見光彦シリーズ]]』は、テレビ会社各局の2時間ドラマ帯にて長期シリーズを獲得するなど人気を博しており、その中の一作『[[天河伝説殺人事件]]』は映画にもなった。後述における「初期三作」のうち、商業デビュー作とされる第三作『[[後鳥羽伝説殺人事件]]』は『浅見光彦』シリーズの第一作でもある。
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戦中は秋田県秋の宮(現[[湯沢市]]、旧[[雄勝町 (秋田県)|雄勝町]])に[[疎開]]していた。(後述の鬼首殺人事件はこの地区を題材にしたものである。また同時期に同地区に[[武者小路実篤]]が疎開していた。)
 
[[埼玉県立川越高等学校]]卒業、[[東洋大学]][[文学部]]国文学科中退。[[TCJ|日本テレビジョン]]、一光社でCMアニメの制作スタッフとして働く<ref>津堅信之『テレビアニメ夜明け前 知られざる関西圏アニメーション興亡史』(ナカニシヤ出版)P.80</ref>。のちコピーライター、CM製作会社の社長を経験。趣味は[[囲碁]]で、2008年に第2回「[[文人碁会]]」で優勝している。[[将棋]]も愛好しており、[[羽生善治]]が対戦した時の棋譜をよくリクエストされたことを、将棋雑誌の編集部に当時勤めていた[[大崎善生]]が回想している<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGKKZO28431930S8A320C1BC8000/ 【喪友記】内田康夫さんを悼む 愛棋家のセンセ(大崎善生)]『日本経済新聞』朝刊2018年3月23日(文化面)</ref>
 
[[1980年]](昭和55年)に第一作『死者の木霊』を、翌年[[1981年]](昭和56年)に第二作『[[本因坊]]殺人事件』を栄光出版社よりそれぞれ自費出版した。この初期2作のうち『死者の木霊』が[[朝日新聞]]1981年[[3月8日]]朝刊の読書欄にて紹介されて話題となり、第三作となる『後鳥羽伝説殺人事件』が[[1982年]](昭和57年)、[[廣済堂出版]]より発刊されて商業ベースのデビュー作となる。
 
その後、初期2作は別の出版社に買い上げられた。『死者の木霊』は1983年(昭和58年)に講談社文庫より『本因坊殺人事件』は1984年(昭和59年)にエイコー・ノベルズより出版されており、その後に各出版社(集英社、角川書店など)が発刊を手がけている。ただし出版社が書籍に附す通常のプロフィールにおいては「執筆第一作でありメディアにおいて最初に取り上げられた作品」と言う意味で『死者の木霊』をデビュー作として置いている。作家として軌道に乗った後は「浅見光彦シリーズ」ほか膨大な数の小説を執筆し、軽井沢に居を構え、夫婦で豪華客船の旅に出るなど、悠々自適の生活を送る。また、軽井沢町発地にある「Tea Salon 軽井沢の芽衣」のオーナーでもある<ref>[http://www.honda.co.jp/dog/travel/data/shop-mei/photo3.html Hondadogおでかけ情報]ホンダ公式サイト</ref>。