「飯塚盈延」の版間の差分

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熱海事件後は、[[満州]]でしばらく兄と建築業を行っていたとされる。なお、[[1976年]]10月28日に行われた[[第78回国会]]懲罰委員会において、共産党・[[紺野与次郎]]衆議院議員は「特高首脳部は、スパイ飯塚盈延に大金を与えて姿をくらませ、その後、飯塚は終生、社会からの[[逃亡]]者としての生活を行い、待合に隠れ、[[北海道]]と満州を往復し、終戦後偽名で帰国して以来[[本籍]]を隠し、偽名を使い続け、元特高らに消されることを恐れ、一室に閉じこもり、昭和四十年酒におぼれて逃亡者としての悲惨な生涯を終えています。しかし、生地の本籍上の飯塚盈延はいまでも生きていることになっています」となっている<ref>078回国会懲罰委員会第3号(昭和五十一年十月二十八日)会議録</ref>。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2018年4月|section=1}}
* 小林峻一・鈴木隆一共著 『昭和史最大のスパイ・M-日本共産党を壊滅させた男』 [[ワック・マガジンズ|ワック]]、2006年。
* [[立花隆]] 『[[日本共産党の研究]]』上下巻、[[講談社]]、1978年。