「日中国交正常化」の版間の差分

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== 前史・戦後の日中関係 ==
=== 二つの中国 ===
1945年に日本が中華民国を含む[[連合国]]に降伏し、[[第二次世界大戦]]が終結すると間もなく国共内戦が始まり、[[1949年]]10月1日に中華人民共和国が建国された。これに敗れた[[中国国民党]]率いる中華民国は、[[台湾島]]とその周辺の諸島を支配するのみとなった。こうして「中国を代表する」と主張する政府が二つ存在する状態が生まれ、世界各国はどちらの政府を承認するかという、いわゆる「中国代表権問題」に直面することとなった<ref>「日中関係史」41P 国分良成・添谷芳秀・高原明生・川島真[著] 有斐閣 2013年12月発行 </ref>。この時は日本はまだ戦後4年で連合国軍(GHQ)の占領下に置かれ、外交権の無い時期であった。
 
中華人民共和国とは、[[ソビエト連邦]]をはじめとする東側諸国が早い時期に国交を結んだ。また、[[イギリス]]は西側諸国の一員であるものの、[[植民地]]として抱える[[香港]]への中華人民共和国の圧力を意識せざるを得ないため、1950年1月に中華民国との領事関係は維持したまま中華人民共和国を承認して北京に代理大使を置き、当初から同盟国の[[アメリカ合衆国]]とは異なるスタンスを取った。そして後年に起こった国連における中国代表権の争いでは、イギリスはどちら側の提案にも賛成するという態度に終始した。