「ヴァイキング」の版間の差分

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どうして彼等が域外へと進出したのかについては下記のような学説がある。
 
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=== 現在の説 ===
ヴァイキングによる拡大と侵攻は[[中世の温暖期|中世温暖期]]([[10世紀]] - [[14世紀]])にはじまり、[[小氷期|小氷河期]]([[14世紀]]半ば - [[19世紀]]半ば)に収束しているが、その直接的なきっかけは不明であり、いくつかの説が存在する。
 
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==== キリスト教と宗教的対立 ====
ヴァイキング時代の始まりとされる[[リンデスファーン修道院|リンディスファーン]]の蹂躙は、[[カール大帝]]による[[ザクセン戦争 (カール大帝)|ザクセン戦争]]、すなわちキリスト教徒による異教徒に対する戦争と時期を同じくする。歴史家のRudolf SimekとBruno Dumézilはヴァイキングによる攻撃は同社会におけるキリスト教の広まりに対する反撃ではないかと位置付けている。Rudolf Simek教授は“初期のヴァイキングの活動がカール大帝の統治時代と時を同じくするのは偶然ではない”と分析する。カール大帝はキリスト教を掲げ、侵攻と拡大を繰り返しており、スカンディナビアにおけるその脅威は想像できる。また、キリスト教の浸透はスカンディナヴィアにおいて問題化していて[[ノルウェー]]ではそれが原因で1世紀に渡り深刻な対立が生じていた。通商・貿易面では、スカンディナヴィア人はキリスト教徒による不平等な条件の押しつけで苦しんでいたことが判明している。名誉を重んじ、名誉が汚された場合は近隣を襲撃することを厭わない文化において、上記のような原因で外国を襲撃することは考えられる。