「セント・オールバンズの戦い (1461年)」の版間の差分

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== 戦闘の結果 ==
この戦勝によって、ヨーク派に捕らわれていた国王[[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]](戦場から遠ざけられ、木の下で笑いながら歌っていたとされる)はランカスター派に連れ戻された。ヘンリー6世の護衛役だったボンヴィル男爵[[ウィリアム・ボンヴィル (初代ボンヴィル男爵)|ウィリアム・ボンヴィル]]と{{仮リンク|[[トーマス・キリエル|en|Sir Thomas Kyriell}}]]は、翌日の[[2月18日]]にマーガレットと話し合った[[エドワード・オブ・ウェストミンスター|エドワード]][[プリンス・オブ・ウェールズ|王太子]]の命令で処刑された。
 
だが、ロンドンへの進軍は強行されなかった。ランカスター派による略奪行為の噂のためロンドン市民が城門を閉ざし、マーガレットが躊躇したからである。マーチ伯がモーティマーズ・クロスの戦いで勝利したニュースもその原因となり、ランカスター派はヨーク派の襲撃を避け北へ撤退した。