「クサントス (歴史家)」の版間の差分

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 '''リュディアのクサントス''' ({{lang-el|Ξάνθος}}, ''Xanthos'')は生粋の[[リディア]]人の[[歴史家]]で著述家(古代ギリシアの職業用語として[[ロゴグラポス]]が適用される)。紀元前5世紀半ばに活躍し、『リュディア史(「リュディアカ(Λυδιακά)」という著作名で知られる)』を書いた。地誌に関する著作もある。リュディア史に関する重要な歴史を書いたもっとも初期の歴史家だと信じられている。また、『マギカ(Mαγικά)』という題名の著作や、『[[エンペドクレス]]の生涯』という題名の著作も知られている。彼はペルシア人の伝承に関する知識があったと信じられており、リゥディア人がペルシア人の宗教について書いたのだとまことしやかに伝えられてきたが、有用な証拠にちなんだものではない<ref>Pearson, L: ''Early Ionian Historians'' , page 117. Cambridge UP, 1939.</ref> 。彼はリディアの都[[サルディス]]で暮らしていたと信じられていて、同時代人で同業者の[[ヘロドトス]]は、彼の著作の殆どは[[:en:List of Kings of Lydia|リュディア王]]の家系と業績に関する多くのことを彼の著作で書いている。クサントスは、人気のある神話の場面の描写を打ちたてようとした伝統的なイオニア形式で書いたことでも知られている。彼がこの形式を用いて記述した一例として、カタケカウメネに登場する"巨人の処罰"の場面が挙げられる。彼は、一般的なギリシア人が楽しむにはしばしば退屈だと考えられていたような歴史的事件を適用することでも知られていた<ref>Pearson, L: ''Early Ionian Historians'' , page 125. Cambridge UP, 1939.</ref>。クサントスは[[:en:Nicolaus of Damascus|ダマスクスのニコラウス]]によって引用された主要や著作者の一人だった。 .
{{Refimprove|date=December 2006}}
 '''リュディアのクサントス''' ({{lang-el|Ξάνθος}}, ''Xanthos'')は生粋の[[リディア]]人の[[歴史家]]で著述家(古代ギリシアの職業用語として[[ロゴグラポス]]が適用される)。紀元前5世紀半ばに活躍し、『リュディア史(「リュディアカ(Λυδιακά)」という著作名で知られる)』を書いた。地誌に関する著作もある。リュディア史に関する重要な歴史を書いたもっとも初期の歴史家だと信じられている。また、『マギカ(Mαγικά)』という題名の著作や、『[[エンペドクレス]]の生涯』という題名の著作も知られている。彼はペルシア人の伝承に関する知識があったと信じられており、リゥディア人がペルシア人の宗教について書いたのだとまことしやかに伝えられてきたが、有用な証拠にちなんだものではない<ref>Pearson, L: ''Early Ionian Historians'' , page 117. Cambridge UP, 1939.</ref> 。彼はリディアの都[[サルディス]]で暮らしていたと信じられていて、同時代人で同業者の[[ヘロドトス]]は、彼の著作の殆どは[[:en:List of Kings of Lydia|リュディア王]]の家系と業績に関する多くのことを彼の著作で書いている。クサントスは、人気のある神話の場面の描写を打ちたてようとした伝統的なイオニア形式で書いたことでも知られている。彼がこの形式を用いて記述した一例として、カタケカウメネに登場する"巨人の処罰"の場面が挙げられる。彼は、一般的なギリシア人が楽しむにはしばしば退屈だと考えられていたような歴史的事件を適用することでも知られていた<ref>Pearson, L: ''Early Ionian Historians'' , page 125. Cambridge UP, 1939.</ref>。クサントスは[[:en:Nicolaus of Damascus|ダマスクスのニコラウス]]によって引用された主要や著作者の一人だった。 .
 
==リディアカ==