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[[日露戦争]]において「難攻不落」と謳われた[[旅順要塞]]を攻略したことから、[[第一艦隊 (日本海軍)|第一艦隊]]兼連合艦隊司令長官として[[日本海海戦]]などを指揮した[[東郷平八郎]]とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」と呼ばれた{{Sfn|岡田|2001|p=285}}。
 
しかし、旅順要塞攻略に際して多大な犠牲を生じたことや、明治天皇が崩御した際に殉死したことなどについてその功績および行為に対する評価は様々である。例えば[[司馬遼太郎]]等により批判されている。司馬は著書『[[坂の上の雲]]』『[[殉死 (小説) |殉死]]』において、[[福岡徹]]も著書{{Sfn|福岡徹|1970}}において乃木を「愚将」と評価した。他方で司馬遼太郎らに対する反論{{Sfn|福井|2007|p=}}や、乃木は名将であったとする主張など、批判と相反して乃木を擁護する意見もある{{Sfn|岡田|2001}}{{Sfn|桑原|2005}}。
 
乃木の軍人としての能力、特に、旅順攻囲戦における作戦指揮に関しては評価が分かれている。
 
==== 司馬遼太郎らによる批判 ====